神奈川県獣医師会 理事就任の挨拶 3 宮田のエッセイ館

解決した心の問題
神奈川県獣医師会 理事就任の挨拶 3

 私は高校生の途中から学校の勉強が手につかなくなった。勉強、つまり競争することに納得がいなかくなったのだ。優しさに満ちた勉強とはどういうものだろうか、と悩んでいた。勉強(競争)する自分の心の中に、言いようのない残酷さを感じたのだ。競争で敗者が生まれる。敗者の敗者は・・・。私が抱いた心の問題だった。

 この頃、私は生贄の存在がはっきり見えなかった。心に生じた靄(もや)の中に、生贄が隠れていたのだろう。勉強をした時に生じる心の靄の中にあったのは、生贄、つまり自分が犯す間接的な殺人だったのだろう。

 命は大切だ、人を殺してはいけないと、私は小さい頃から教師や大人の人達に教わってきた。そのように教えてきた教師や大人達は、間接的にでも人を殺さずに生きて現在に至ったはずであった。高校生の私は、自分の心を彼ら大人達の立派な心と比べた。私は悩まざるを得なかった。

 ところで、高校時代の私の不勉強ぶりを、自著『おとなしい豚』電子書籍版から引用してみると、

『高校三年の一学期、私の成績は全科目の平均点が10段階評価の3.7で、405人いる生徒の中でデキの悪いもう一人と共に職員会議で問題になった。微分方程式をきっかけにほとんど勉強をしなくなってから、私の成績表には「5」以下の数字が集中するようになっていた。成績の「2」と「3」には警告の意味で、バカにも分かるようにするためか数字の下に赤い横線が引いてあり、我々はそれを赤座布団と呼び、「赤座布団10枚でハワイ旅行」などと言いながら本気で10枚集めた奴は私ぐらいで、ましてや「2」から下の世界は、成績の悪い連中の間でも足を踏み入れてはならない聖域として、畏敬の念を持って伝承されていた。ところが、私は神をも恐れぬ不勉強さにより、それまで伝説的に語り継がれた「1」の領域に到達し、その偉業に対し職員室で教師たちは頭(こうべ)を垂れていたのだ。なんと「1」は数字そのものが赤かった』

 

 私は、これまで幾つかの文章を書いてきた。それらのうち、高校時代から抱いた心の問題に触れたものがある。それらを『解決した心の問題』の大見出しの下に集めて連載する。

 私と同じ悩みを抱えた人達にとって、心の潤いになれば本望である。

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