神奈川県獣医師会 理事就任の挨拶 2 宮田のエッセイ館

解決した心の問題
神奈川県獣医師会 理事就任の挨拶 2

 前ページの文章は、神奈川県獣医師会の会報(平成25年9月号)に掲載されたものである。600字以内で理事就任の挨拶を書け、という会報編集担当者からのリクエストだった。

 私は、この挨拶文を編集担当者に送った後、内容について注文をつけられるかと少しばかり気になったが、杞憂であった。手元に届いた会報を開くと『理事就任の挨拶』のコーナーに、私が書いたままの文章が掲載されていた。編集担当者の心意気に思わず拍手をした。これは、彼らに向けた二回目の拍手だった。

 最初に送った拍手は、これより数年前である。私は歳男(亥年)を迎えるにあたり、『新年に思う』のテーマで会報に掲載する原稿をリクエストされた。書き上げた原稿には、有閑マダムが飼い犬を抱く姿に、私が、

「ケッ、このクソババア・・・」

 と、吐き捨てるセリフがあった。また、路上で野垂れ死んだ死人と私が会話をする場面で、死人のセリフに、

「お前たちにはオレが必要なんだ、社会の生贄としてね」

 などの刺激的なものがあった。私は、この原稿を友人のT氏に読んでもらった。T氏はニヤニヤしながら、

「このまま神奈川県獣医師会の会報に載るかな? 載ったら面白いな」

 と感想を述べた。私も同感だった。しばらく経って、出来上がった会報が送られてきた。私の文章は一字もいじられず、そっくりそのまま掲載されていた。私は友人のT氏に報告して、会報編集担当者に拍手を送った。この文章は、若干加筆をして『宮田のエッセイ館』で次回紹介する。

 さて、人類の歴史において人間を生贄として神に捧げる行為があったことは、皆様ご存知の通りである。現代を生きる私は、それを野蛮で非文明的な行為と考えていた。ところが、現代社会を生きていくうちに、

「現代人も人間の生贄を求めている、現代社会にも生贄はいる」

 と、私は実感するようになったのである。もちろん、昔のように人間を公然と殺して生贄にするわけにはいかない。社会がジワジワと人間を死に追いやり、生贄に仕立てていくのだ。だから、私は社会を見渡しても、初めのうちは生贄の存在にはっきり気づかなかった。社会を見ながら、心との対話を通して、人生半ばにして生贄の存在にようやく気付いたのである。

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