心の下宿人 1 宮田のエッセイ館

解決した心の問題
心の下宿人 1

 優雅な生活ぶりを見せたがる有閑マダム。そういう手合がテレビに登場すると、私はテレビ画面に向かって思わず眉根を寄せる。チャンネルを変えてしまえばいいのだが、一応すぐに対応できるようリモコンを構えておき、怖いもの見たさで、まるで老眼の人が手元の書類を見るように私はテレビからのけ反り、その後の成り行きを恐る恐る待つのである。

 画面の中は有閑マダムの自宅。調度品や家具などを彼女が手首をくねらせながら一つ一つ説明する。これはスェーデン製だの、あれは特注で値段はいくらだのと。ありきたりの展開だ。ありきたり、というよりも型通りと言った方がいいかもしれない。今時の型通りゆえ、マダムの次なる自慢は・・・そう、彼女の犬だ。

 マダムは飼い犬を抱き上げて得意気に紹介する。救助犬でも介助犬でもない単なる愛玩犬、いわゆるペットだ。マダムのペット。

「ケッ、くそババア・・・」

 私はテレビ画面に向かって吐き捨てた。だんだん息苦しくなってきた。知らないうちに呼吸が止まっていたのだ。私はリモコンのボタンを押してチャンネルを変え、ようやく息を吹き返した。

 しかし、犬を得意気に抱いていたマダムの粘っこい感情が、私に納豆のようにまとわりついて離れない。たいがい奴らは粘っこい。特殊なサービス業でなければ対応が難しい粘っこさである。あー気持ち悪い。マダムたちよペットを抱いて行くがいい、特殊なサービス業の元へ!

 ところで、さっきのババアが抱いていた犬は何だろう。一見してすぐに犬種名が口をついて出てこなかった。つまり珍しい犬種だ。珍しいものは嫌でも人の目を引いてしまう。

 私も珍しいものを持っている。と言っても、それは心のなかにある映像なので、人前にさらけ出すことは出来ない。もしもその映像が目の前に再現すれば、必ず人の目を引く。

 それは何かと言うと、道端で野垂れ死んだ人の映像だ。私が、地面で横たわるその人に気づいた時、彼は呼吸をした。弱々しい呼吸に気を取られ、私は彼にさり気なく視線を注いだ。再び彼は呼吸をした。

 私は彼を見ながら待った。何を待ったのだろうか。この時は確かに待っていた。次の呼吸か、それとも呼吸が止むことか。

 気がつくと、彼の胸は動かないままだった。彼のすぐ近くで横たわっている人がゆっくり腕を動かした。この人も間もなく死ぬだろう。おびただしい数の通行人は、それらを避けるように素通りしている。二十八年前、私が獣医学科の学生だった頃に旅したインドで見た光景だ。

 インド旅行中、何体もの死人を路上に目撃したのだが、この野垂れ死にの光景が最も印象深い。今でも車に乗り込む時や、スーパーマーケットで買い物をしている時などの、日常生活の何気ない場面で、路上の死人が不意に脳裏に現れる。二十八年間、死人は動かないまま私の脳裏に住み続けていた。

 ところが、ピクリとも動かなかったその死人が、少し前から薄ら笑いを浮かべるようになったのである。よく見ると、薄ら笑いの口元で彼は何かを訴えているのだ。何度も繰り返して訴える彼の言葉の翻訳に、私はようやく成功した。

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