兄の死    5 宮田のエッセイ館

失敗
兄の死    5

 今、実家の二人は行き着くところに行き着いた。この時が来るのを待つしかなかったのだ。

担当医師は救急隊員からの伝言メモをカルテに挟んで言った。

「患者さんが退院してこれまで住んでいた所に帰れば、同じことの繰り返しになります。新たに住む場所を用意しておいた方がいいと思います」

 つまり、母が兄から虐待を受け続けるということだ。今回は、倒れている母を通行人が発見してくれたから入院できたものの、次の事態で発見者がいなければ、結果はもっと大事になりそうだ。母のためにアパートの一部屋を借りようか、と考えた。

 しかし、通行人は台所の母をどのようにして発見したのだろう。救急隊員のメモでも、その謎は解けなかった。

 病院を後にした。私は母の入院を知らせてくれた民生委員に電話をした。電話口でお礼を述べて、母を発見した通行人の住所氏名を教えてもらった。発見者は私の実家から100メートルほどの所に住んでいた。

 お礼の手土産を持って発見者を訪れた。その住まいの前を、私は子供の頃から今までに数えきれないほど通ったが、門から中に入るのは初めてだった。家の佇まいは老朽化した以外は昔と同じように見えた。玄関で声をかけると、予め電話で訪問する旨を伝えてあったので、件(くだん)の人がすぐに出てきてくれた。60歳代の女性だった。母を見つけた時の様子を教えてもらった。

「最初に両足が見えたんです。勝手口が開いていて、両足が見えたんでオヤっと思い、近づいてよく見たら奥さんが倒れていたんです・・・」

 膝から下を勝手口のたたきに落とす姿勢で、母は仰向けに倒れていたのだ。

 夏の実家は勝手口の引き戸を開け放し、目隠しにすだれを吊るしていた。すだれの長さは勝手口の上半分までだった。今でも勝手口の様子が昔と変わらなければ、足は道路から容易に見つけられる。私は通行人が実家の建物内に入って母を発見した、と考えていた。そうではなかったのだ。

 謎が解けると別の謎が浮上した。母の倒れ方だ。仰向けの姿勢で、しかも通行人に見つけてくれと言わんばかりの位置が不自然だった。

 すだれが吊るされた勝手口の様子は、私が実家に住んでいた頃のものだ。最近の様子は分からない。ここ数年間、私は実家に近づいていない。約2ヶ月に一度、高校生の頃から通っている理容院に行った時、ついでに実家の様子を遠くから伺うだけだった。高台にある実家は、車を運転しながら家屋の正面が眺められる。

 実家の六畳間の広い窓は、年を追うごとに戸袋に収められない雨戸が増えていった。最初、窓に一枚出ている雨戸が夏の日差しを避けるためのように思えた。いつしか雨戸は一枚が二枚になり、二枚が三枚になった。冬でも三枚の雨戸が六畳間の窓を被った。もう一枚で窓を完全に閉じる状態が、季節を問わず長く続いていた。そのような家に住む者が、勝手口を開け放ってすだれを吊るすように思えなかった。普段は、夏でも勝手口の引き戸を閉めていた可能性が高い。現在では防犯上、勝手口を閉めておく方がむしろ普通だ。

 道路から母を見つけやすいように勝手口を開け放ったのは兄だろう。もっと言えば、家の何処かで倒れた母を、通行人が見つけやすい位置に移動したのは兄かもしれない。そして、自分は歩けないふりをして責任回避をしたのだ。

totop