兄の死    4 宮田のエッセイ館

失敗
兄の死    4

 母は八十一歳。多目的ルームにもう一人いる患者さんは、少し若い七十歳台くらいのおばあさん。二人だけが昼食を食べ終えず、この部屋にまだ残っているようだった。私は母に尋ねた。

「病院のごはんは美味しい?」

「美味しいのよ」

 言葉に抑揚があった。先程の「分かりますよ」は、セリフを棒読みするような一本調子の返事だった。病室の食事を本当に美味しいと感じているようだった。入院した原因について、内科的な疾患を除外して考えて良いのだろうかと単純に考えた。

 看護師が部屋にやって来た。彼女は私の顔を見るなり何か言いたそうな顔をしたので、先に私は患者の次男であると告げた。

「先生がお話したいそうです。今日これから時間はありますか?」

 看護師の語気は強かった。私は入院中に見つかった母の重い病気を想像し、また入院の三日後まで音信不通だった肉親に対する非難を感じた。

 それから一時間ほど経ってから私は担当医師に呼ばれた。面談場所は病棟一階の診察室だった。

「患者さんは身体に内出血の痕が複数あって、暴力による虐待が疑われます。心当たりはありますか?」

「母は兄と二人で暮らしていたので、やったのは兄と思われますが、私はしばらく二人と会っていなかったので実態はよく分かりません」

 しばらく会っていなかったと無罪証明をする自分がいた。反射的に保身の言葉を口にする自分に一瞬嫌気がさした。同時に、私が責任回避をしていると担当医師に思われるのが嫌だった。

 医師は書類を一枚手に取った。救急隊から医師への伝言メモで、彼らが母を収容した時の状況が書いてある。医師はメモ用紙に目を落としながら言った。

「患者さんは台所で仰向けに倒れていました。家の中に男性が一人いて、患者さんの長男ということでした。119番通報したのは長男でなく通行人です。長男は床に座ったきりで『立てない』と言い、救急隊員が『あなたも病院に搬送するか』と聞いたら、長男は搬送を拒絶しました。長男は怒鳴って応対するので意思の疎通が難しかった、とあります」

 

 数年前のことである。一人の親戚が私の動物病院に来て言った。

「あれじゃ、どうしようもないぞ」

 彼が実家の母と兄を訪ねた際の感想だった。彼は母と同年代で、どのような親戚関係かと言えば、私の父の姉さんの・・・何度聞いてもここまでしか覚えていない関係だ。

 私は幼い頃から彼を実家でよく見ていた。彼は玄関で何か一言(ひとこと)を言うだけで、そのままスタスタと家のなかに上がり込んでいた。彼の一言は、「俺」や「おう」や「洗濯屋」などであった。なぜ洗濯屋なのか不明であったが。とにかく玄関での一言は、『家に入るぞ』の意味である。当時の実家は周囲の多くの家同様で玄関に鍵をかけていなかった。彼と私の父は岩手県の三陸沿岸で生まれ育った。その地方では、親戚が勝手に家に上がり込むのは普通の風習であった。気付いたら彼が部屋の中に立っていた、というのは珍しくなかった。

 その親戚が続けて言った。

「お前の兄貴がものすごい剣幕で怒鳴って、オレを家に一歩も入れないんだ。何度か行ったけど、ありゃダメだ。あのままじゃ二人で共倒れだぞ」

 なんとかしろ、の気持ちが私に向けられた。

「兄は私に対しても同じです。母を何処かに連れていかれると警戒しているんですよ」

「なんとかならんかな」

「行き着くところまで行くのを待つしかない、と思いますよ」

「そうか」

 彼は喧嘩が絶えなかった実家の歴史をよく知っていた。

 

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