僕らはみんな病んでいる   4 宮田のエッセイ館

僕らはみんな病んでいる
僕らはみんな病んでいる   4

 ついでに言っておくと、私はヒステリー女を見分ける能力が極めて高い。これは、激しいヒステリーを起こす母に育てられたことが大きく影響している、と見るのが自然だ。

 母のヒステリーの前兆は、目元や口元の歪み、それから口調の変化に現れた。私は幼い頃から、それらを敏感に見分け、聞き取っていた。

 ひょっとしたら彼女の脳波の変化や、彼女の血液中を流れる物質の変化なども、私はヒステリーの前兆として捉えていたかもしれない。そう思えるくらい、私は前兆を鋭敏に嗅ぎ取っていた。

 人の病気が分かる犬がいる。病気の人から発散される何物かを感じ取るらしい。私も言うに言えない何かをヒステリー持ちに感じる。この点に関して、私の能力は動物的なのだ。

 特殊能力と言えば、私は幽霊が見える男性と知合った事がある。彼はどんな風に幽霊が見えるのかを語ってくれた。彼の職場に同じ幽霊が時々出るようだ。

「○○さんも、あの幽霊が見えているんでしょ」
 同僚の事務員に彼は言われた。事務員は彼の仕草を見て、自分と同じものが見えていると分かったようだ。二人が見ていた幽霊の年格好は完全に一致していた。また、彼はビジネスホテルで見た幽霊の話しもしてくれた。

 世の中には、彼以上に幽霊が見えてしまう人がいて、そういう人は大概、

「幽霊なんか見えない方がいいですよ。その方が生活しやすいです。幽霊が見えない人が羨ましいです」

 と言う。幽霊は見えるだけでも嫌なのに、幽霊と目が合うのが鬱陶しいらしい。目が合えば幽霊に『幽霊の自分が見えている人間』と分かられてしまう。幽霊は自分が見える人間につきまとう。幽霊も寂しいようだ。

「幽霊が見える人間であると、幽霊に悟られないように振る舞うわけですから疲れますよ。でもね、人間と思って接していた人が、実は何年も前に死んだ人の幽霊だった、なんてこともありました」

 今、三崎方面行きのバスの中で、乗客のババア三人がうるさく喋っている。霊感がない私が存在を確認できるので、奴らは生きている人間だろう。彼女らは周囲の人間が目に入らず、自己中心的に声を張り上げている。時々叫び声を上げる。

 話し言葉からして奴らは三崎の人間でない。とすると観光客なのだろうか。観光ゆえに興奮していると考えれば、何となく今の状況が腑に落ちる。腑に落ちても、うるさい事には変わりない。女特有のキーキー声が、まるで神経を侵す超音波兵器のように私の脳ミソを震わせる。

 私はバスの車窓に一人黙って目を向けながら、間欠的に襲ってくる憤怒の発作を、

「うるせー、クソババア」

 と、心の中で怒鳴って鎮めていた。

 このような悪条件下でありながら、私は、

『生きている人間で、しかも観光客らしい』

 と、敵について冷静に分析していた。敵が観光客ならば早めの途中下車は期待出来ない。私が下車する三崎港バス停まで敵は乗っているだろう。バスの旅情は台無しだ。

 私は無力感に襲われた。敵の圧倒的な攻撃力に対して、私の攻撃力は無いに等しい。

 更に困ったのは、私が敵の声にヒステリー性を感じ取ってしまったことである。幽霊が見えてしまう人が、自分の特殊能力を邪魔に感じるのと同様に、私は人のヒステリー性を敏感に捉えてしまう自分の能力が邪魔に感じる。

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