僕らはみんな病んでいる   3 宮田のエッセイ館

僕らはみんな病んでいる
僕らはみんな病んでいる   3

 今度、京浜急行電鉄に乗る機会があったら耳を澄まして欲しい。駅ホームのアナウンスは、

「ドアが閉まります」

 で、電車内は、

「ドアを閉めます」

 である。皆さんには、この違いを聞き取って、言動一致の正しい日本語表現に心を震わせてもらいたい。
 

 電車は終点の三崎口駅に到着した。長い階段を上って改札を出ると目の前がバス停である。今にも発車しそうにエンジンをかけて停車しているバスが、幸い三崎方面行きだったので、私は焦り気味に小走りで乗り込んだ。

 一人がけの座席に座る時、バスに間に合った安堵の一息をついて、私は客席の後方を見やった。

 私のすぐ後ろの二人用座席に、三十代の夫婦と思われるカップルがいて、三崎観光のパンフレットを仲睦まじそうに見ている。二人は三崎について小声で語り合っていた。私は後ろの二人に、三崎について色々と教えて上げたい気持ちになった。控えめな人には、こちらから手を差し伸べたくなるのだ。

 最後列に四十代の女性が三人座っている。彼女らは途切れなくペチャペチャと喋っていた。バスが走り出してから次第に話し声が大きくなっていった。話題はどこにでもある本当につまらない世間話だった。芸能人の誰がどうしたとか、洗濯物がこうした、などと聞こえてきた。

 彼女らは自分達だけの世界に浸って調子づき、興奮が留まるところを知らずに膨張し、ついに短い叫び声を上げるようになった。
「うるせー、クソババア」
 私は無言で罵った。当たり前だが効果はなかった。聞きたくもないババアの世間話を後頭部に受け続け、頭の中にキンキンと不快音が響くようだった。

 私はババアへの苛立ちを一人静かに耐えながら、ふと気付いたことがあった。それは彼女らが三崎出身者でない、ということだ。三崎で生まれ育った者の話し言葉には、気取って話す場合を除けば、三崎弁の痕跡が残っているものだ。特に興奮して話す時は、気取りが取れて三崎弁の痕跡が露わになったり、痕跡が増幅して現れたりする。彼女らには、それが全くなかった。

 私は人の話し言葉を聞いて、アクセントや言葉遣いの特徴を敏感に聞き取るタイプの人間のようである。

 以前、仕事の関係で一緒になった女性と立ち話をしていた時、私は女性が言ったある一言のアクセントの特徴に気づいて、
「北海道の出身ですか」

 と聞いたのだ。女性は黙り不思議そうな目で私を見た。私は聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと思った。数秒間の沈黙の後、彼女は、
「どうして分かったのですか」

 と、驚きを隠せない様子で言った。

「北海道の人のアクセントがありましたから。私は学生時代を北海道で6年間過ごしたので、懐かしい感じがしました」

 彼女の表情は、驚きから感動に変わった。

「私は北海道を離れて27年になりますが、こんな風に言い当てられたのは初めてです」

 彼女に笑顔が戻った。それから我々は北海道の話をした。

 話し言葉に対する私の聴覚の鋭さは、特に三崎弁、北海道弁、東北弁に発揮される。私の両親や祖母、それから親戚が岩手県出身で、幼い頃から岩手県の言葉に囲まれていたため、私は東北弁も敏感に聞き取る。特に岩手県の遠野市や三陸沿岸の言葉は、わずかな痕跡でも鋭敏に聞き取る。

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