僕らはみんな病んでいる   2 宮田のエッセイ館

僕らはみんな病んでいる
僕らはみんな病んでいる   2

 私は三崎へ行くため、京浜急行の電車に乗り込んだ。

 ところで、京浜急行電鉄に馴染みがない人のために解説すると、京浜急行電鉄は東京都~川崎市~横浜市~逗子市~横須賀市~三浦市を運行している。

 駅名で言えば、泉岳寺(東京都)から三崎口(三浦市)を北と南に結ぶ。泉岳寺から先は他線に乗り入れるため、押上行きや青砥行きなどの、他線にある駅を行先とした電車をよく見かける。なお、泉岳寺駅の駅名の由来になっている泉岳寺は、赤穂四十七義士の墓所である。

 三崎口駅の駅名は、一般市民からの公募によって決まった。三崎口という地名は無く、また三崎に住む人間、いわゆる三崎人が駅のあたりを三崎口と呼び習わしていた史実もない。

 駅完成当時の駅周囲はとても寂しく(今でも結構寂しい)、その場所自体では皆がピンとくる、駅名にふさわしい固有名詞が調達できなかったために『富士山登山口』のような命名の塩梅で、離れた所から三崎の名前を引っ張ってきたに違いない。

 

 さて、私が乗った三崎口行きの電車は間もなくドアが閉まる。駅のホームに、

「ドアが閉まります」

 とアナウンスが流れた。安全発車のために身支度を整える電車は、ちょっとした緊張感に包まれる。私は座席に座って、車掌さんの車内アナウンスに耳を澄ます。

「ドアを閉めまーす」

 車内に、期待していた正しい日本語が流れてドアが閉まった。列車の最後尾に立つ車掌さんは、自分の指で『ドア閉』のスイッチを入れる。だから車掌さんのアナウンスは「ドアを閉めます」が正しい。

 ドアを閉める時の車掌さんのアナウンスについて、京浜急行の社内で、

「ドアを閉める人が言うのだから、ドアが閉まります、ではなく、ドアを閉めます、だろう」

 と発言した社員がいて、そのようにアナウンスの言葉が決まったと、私は何かで読んで知った。この発言をした社員と一度酒を飲みたいものだ、と私は思った。

 京急久里浜駅でドアを閉めて出発した電車は、次に停車したYRP野比駅でも、やはりきちんと車掌さんが、
「ドアを閉めます」
 とアナウンスをした直後にドアが閉まり、私は心の中で大きく相槌を打った。

 車掌さんが発する言動一致の表現は、『自分の行為に責任を持つ』という意識を乗客に与えているだろう。

 もしも車掌さんが、
「ドアが閉まりまーす」

 とアナウンスをして、自身でドアを閉めていたらどうだろうか。通勤通学客は、この電車に毎日乗って駅ごとにアナウンスを聞くのだ。すると知らず知らずのうちに、自分の行為を他人事にする意識が、乗客に刷り込まれていくのではないだろうか。

 例えば、次のような週刊誌の記事を書く人は「ドアが閉まります」的な刷り込みが相当あった、そればかりか好んで刷り込みを受けていたのでは、と私は想像する。

 今から十年くらい前(もっと前だったか?)に週刊誌を読んでいたら『芸能人のA氏が自分の飼い犬に咬まれた』と書いてある記事があった。A氏が飼い犬にガブリと咬まれた事実があった、と確信して読み進めてみると、やはり『A氏は飼い犬に咬まれた』とあるのだが、だんだん様子が違ってきて、脳ミソが捻れるような感覚に襲われた末に、A氏自身がガブリと咬まれたのではなさそうに読み取れてきた。

 最後まで読んで分かった記事の真相は、『芸能人A氏の飼い犬が他人を咬んだ』であった。A氏の家を飛び出していった飼い犬が、通りがかりの通行人を咬んだのだ。

 この記事を書いた人は、A氏の飼い犬が人を咬んだのでA氏はつらい思いをしている、彼は犬の被害者である、としたかった。だから『A氏は飼い犬に咬まれた』と書いたのだ。

totop