兄の死   11 宮田のエッセイ館

失敗
兄の死   11

 大晦日の実家の玄関に、正月の飾り付けがなかった。

 以前は、年末になると玄関にしめ縄を飾り、搗(つ)きたての鏡餅を用意していたものだ。幼い頃の記憶では、玄関の両脇に立派な門松があった。家の物置に杵と臼があり、もち米は祖母が蒸していた。祖母が正月ごとに作る、きな粉餅やしるこは私の大好物だった。今、この家で暮らすのは母と兄だけになった。二人が消えたら誰も住む者がいない家になる。

 兄を見る私は、気付くと、開けた玄関の引き戸に手をかけたままであった。

 『あんた、未だそんなことやってんのか』

 私は無言で兄を罵倒した。「かずしこ!」と繰り返し怒鳴って角材を握っている姿。兄を見る私の目は、自分の息苦しい生い立ちも同時に見ていた。

 彼は将来医者になると言い、電気工事の資格を取ると言い、早稲田大学に入ると言った。言うだけで、実現するための努力をしなかった。父から、

「マグロ船に乗れ。鍛えてやるから」

 と迫られ、兄はべそをかいて必死に抵抗した。マグロ船に乗ったら、数ヶ月間は本物の努力を強いられる。

 兄は「東京で一旗(ひとはた)揚げてくる」と言って家を出た。父からマグロ船に乗せられる恐怖から逃れるためもあった。東京に出て幾つもの仕事を転々とした。その間、彼は神奈川県の実家へよく帰ってきた。仕事を辞めるたびに兄は帰ってきて、何日間もブラブラと家にいた。沖から帰った父が家にいると喧嘩になった。父が陸に上がっている期間は約一ヶ月間。だから、せめて父が沖に出てから帰ってくればいいものの、父がいても家が恋しくなるようだった。

 ある時、兄は言った。

「オレはなんでもやってきた。牛乳配達、新聞配達、ガソリンスタンドの店員、タクシーの運転手、土木作業員、ユンボの運転手・・・オレはなんでもできるんだ!」

 またある時、兄は、

「オレは会社を起こして3年後に社長になる!」

 と宣言した。この宣言を執念深く覚えていた私は、1年後に「あと2年で社長になるんだね」と言ってやったら、途端に兄はふてくされて「ああ、なるんだ!」と怒鳴った。もちろん彼は社長にならなかった。というよりも、会社を起こす努力などしなかった。

 兄の失敗は、幼児的な万能感を持ち続けたところにある。オレは将来医者になると言った時だけ、彼は医者になることができた。早稲田大学の校歌を歌っている時だけ、彼は早稲田大学の学生になることができた。将来社長になると宣言した時だけ、彼は社長になることができた。それらは、すべて家の中だけで実現した仮想現実だった。家の外に出て現実に触れたら消え去るものだった。

 今、私は全く変わっていない兄を見た。「かずしこ!」と声を上げて興奮する彼は、今、なにがしかの立派な人間になり切っているはずだ。声を上げれば彼は何者かに成れるのだ。

「オレは、この家を守るためにいるんだ」

 ここ何年かにおいて、兄の得意なセリフだった。勝手に大義名分をぶち上げて、実家に居座り続けている。彼のセリフは自分の万能感を守る、と白状していたのも同然だった。角材という凶器を持って外来者を威嚇する今の彼は、万能感の番人という立派な人に成り切っている。私はそう思えた。彼は高校を卒業した時と精神が変わっていないのだ。だから私は、『未だそんなことやってんのか』と、無言で兄を罵倒した。

 兄をまっすぐ見る私の気持ちは怒りに占められていた。玄関先で、私は兄と同様に凶器を握りしめた。兄と違って、私の凶器は心の中にあった。心の中にある凶器を握りしめて兄を見据えていた。

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