レ・フレール!! 宮田のエッセイ館

ライナーノーツ
レ・フレール!!

 自宅で夕食を終えた後、私は肘枕で寝転がり何気なくテレビを見ていた。出演者がグランドピアノに集い、出演者のうち二人の若い男性が、これからピアノを弾こうとするところであった。

「あれっ?!」

 私は上半身を起こしてテレビ画面に顔を近づけた。二人の若い男性は一台のグランドピアノに並んで座り、リズミカルに連弾を始めた。私は妻を呼んで言った。

「この二人、見たことあるよな」

 妻はテレビ画面をジッと見た。

「あ、ほんとだ。えーっと、二人は斎藤さんだよ」

 我々夫婦は二人の連弾に聴き入った。日常生活でたまに顔を合わす人が、テレビに出演するほどのミュージシャンだったのだ。

「彼らはピアノを弾くんだね」

「レ・フレールっていうんだってよ」

 我々夫婦はテレビ画面に釘付けになった。

 それから数年が経過した。この間、私は守也さんと会う機会があっても、レ・フレールの存在を知らない素振りで彼と接していた。相手の身分や職業によって、自分の態度を変えたくなかったし、相手が芸能人であればこそ、落ち着ける日常を普段通りに提供するのが地元民の役割であると考えていたからだ。

 守也さんが飼う犬の往診に行った時、彼から往診のお礼にレ・フレールのCDを貰った。この時、私はレ・フレールを数年前から知っていたことを白状した。私は貰ったCDを自室で聴き、ライナーノーツを読んだ。妻の証言によると、この時私は、

「こういうもの(ライナーノーツ)は、俺に書かせたらいいんだよ。もっと面白いものを書いてやるよ」

 と、言っていたらしい。端から見たら、野球好きのオッサンがプロ野球中継を観ながら、「俺を代打に使え、ホームランを打ってやるから」と言っているようなものだったろう。

 この手の話は一般的にここで終わる。オッサンはプロ野球で代打に使ってもらえないのである。

 ところがその翌年、私はレ・フレールの守也さんからソロ・アルバム『旅』のライナーノーツ執筆を依頼されたのだ。まさにオッサンがプロ野球で代打に起用されたのである。守也さんがオッサンに示した条件は、『文字数は3~5000字、内容はオッサンに一任する』。

簡単な話、『私が書きたいように書いて良い』である。プロ野球の打席に代打でたったオッサンが『自由に打ってよい』と指示されたのだ。守也さんから「ライナーノーツを獣医に依頼したい」と言われただけで心配した事務所スタッフがこの条件を聞いたら、彼らは卒倒しただろう。

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