ライナーノーツ 1 宮田のエッセイ館

ライナーノーツ
ライナーノーツ 1

 私は音楽について素人だ。それにもかかわらず、守也さんが私に執筆を依頼した動機は、彼自身が書いた『旅』のセルフライナーノーツに紹介されている。執筆依頼の動機に彼の感動があった。詳しくは守也さんのセルフライナーノーツを参照されたい。

 ライナーノーツを書くための参考資料として、守也さんはレ・フレールの全てのアルバムとファンクラブの冊子『ウーシーニュース』を数冊持ってきてくれた。ウーシーは守也さんがかつて飼っていた犬、私がずっと診ていた犬の名前だ。

「なんだウーシー、ここに居たのか」

と、私は『ウーシーニュース』を手にとった時、心のなかで語りかけた。

 参考資料を全て聴いて読んだ。締め切りまでに十分日にちがあったので、出だしの文章を数日間考えた。しばらく考えて逢着(ほうちゃく)した結論は、『心から書きたいと思うものを格好つけずに書く』といういつもの心掛けだった。数日間は、格好つけようとする自分がいたのだ。

 

 私はライナーノーツの前半を書き終えた。分量的、内容的に丁度半分くらいであった。しかし、半分を書き終えた安堵感よりも不安が大きかった。一般的にライナーノーツと称されるものとは、別ジャンルに分類されるような文章になってしまったからだ。自分らしく『守也さんらしさ』を表したらライナーノーツらしくなくなったのだ。

 書いたものを誰かに読んでもらって感想を聞こう、と思った。

「・・・こういう訳で、読んでいただけますか」

 私が電話で依頼した相手は一人の獣医師であった。彼は中島氏という。中島氏は19歳で麻布大学(当時は麻布獣医科大学)獣医学科に入学し、66歳で麻布大学獣医学科を卒業している。66歳で獣医師免許を取得した変わり種だ。

 と言っても、この間ずっと麻布大学に在籍していたわけではなく、中島氏は19歳で入学した後、家庭の事情で大学2年終了時に中途退学して社会人となった。60歳で勤務先を定年退職になり、定年退職した年の4月に麻布大学に再入学したのだ。彼は60歳まで副業として自宅で学習塾をやっていたので、受験勉強は必要なかった。定年退職後、浪人?せずに合格する自信があったという。

 中島氏は私の著作のファンで、なおかつレ・フレールのファンなので、ライナーノーツを読むために喜んで私の動物病院に来てくれた。わざわざ動物病院に足を運んでもらったのは、依頼主の守也さんにライナーノーツを納品する前に、ライナーノーツの活字の一部でも外部に出したくなかったからだ。

 中島氏は会うたびに笑顔だ。彼は椅子に座り、コーヒーを置いた診察台を机代わりにして原稿を読み始めた。私は彼が読み終わる時を静かに待った。

 私はものを書く時、刀(かたな)で粘土を上から下に切り分けていく感覚になっている。出だしの文章で粘土に刀が入いる。刀が粘土を抵抗なく切り分けていく感覚があれば書き続ける。つまり、そのまま刀を粘土に入れていく。刀が粘土に隠れている砂や石にぶつかって、ジャリジャリ、ガリガリと嫌な音を立てて刀に抵抗感が伝わる時がある。そういう感覚の文章は書き直す。再び抵抗感があるまで刀を粘土に入れていく。書き直しをしながら文章が出来上がり、出来上がった文章を読み返す。

 読み返す時も、刀で粘土を切り分けていく感覚になる。書いた時に取り除いたはずなのに、砂に刀がジャリッとあたることがある。簡単に取り除けない砂であったら、許容範囲ならば、しかたがないのでそのままにする。

 読み終わるまで刀が砂に一度も触れない文章がある。今、中島氏に読んでもらっているライナーノーツがそうだった。砂に触れないばかりか、気持ちのいい切れ味で刀が粘土を最後まで分けていった文章だった。私が中島氏に判断してもらいたいのは、原稿が「はたしてライナーノーツとしてOKか?」なのであった。

totop