解決した心の問題 2 宮田のエッセイ館

解決した心の問題
解決した心の問題 2

 我々は世の中において、実に様々な職業の人達を見る。なかには危険性の高い職業がある。出来るだけそのような職業につきたくない、と人は思う。この思いが、受験勉強などの努力をする動機の何割かを占めている。

「Sさんが受験勉強をして大学に入った理由にも、この思いがあったでしょう」

S氏は首を真っ直ぐにして答えた。

「はい・・・言われてみれば、確かにありました」

 正直な答えが嬉しかった。私は話題を『左脚の記憶』に戻した。

「だからさ、オレは、墓を踏んでいたことを言いたかったんでないの。踏み台にしていた墓に向けた感謝の気持ちを言いたかったの」

 S氏は再び首をかしげてエッ?という顔をした。口先を尖らせてこちらを見ていた。尖った口先から何かが出てきそうな勢いであった。私は、結論を急ぎすぎたようだった。

「具体的に言うとさ・・・」

 鉄塔の高いところで電気工事をする人は、落ちる危険性がある。地面の深くに立ち入って水道管工事をする人は、土に埋まる危険性がある。危険性が高くても、社会にとって必要性が高い職業がある。人は受験勉強などの努力によって、それら危険な仕事を自分以外の人間に回している。

 たとえば、こんな事があった。マンホールの中で下水道工事をしていた作業員が、下水道内に充満した硫化水素によって中毒死した。平成26年1月に私の動物病院の近所であった事故である。

 私達は、メンテナンスされた下水道を利用して、つまり彼の犠牲の上で快適な社会生活を送っている。犬を散歩させる下を見れば彼の犠牲がある。

「つまり、人の犠牲の上にオレたちの生活が成り立っていて、その犠牲にオレは礼を言ったんだ」

「はい」

 S氏は、曇りが取れた顔で答えた。とは言っても、彼はいつも眠そうな顔つきなので、彼が分かったような返事をしても、どこまで分かっているのか私はいつも疑わしく感じてしまう。以前、私がS氏に「眠いの?」と聞き、彼が「いいえ」と眠そうな顔のままで答えたことが2回あった。

「考えてみると残酷な話だよね。人の犠牲に対して礼を言うんだから。ねえSさん、オレは残酷な人間だよね」

「いえ、あの・・・モゴモゴ・・・」

 S氏は眠そうな顔で口ごもった。彼は返答に困るとよく口ごもった。

「もちろん、オレは個別の犠牲や不幸に対して気の毒に思うよ。だけど、自分が社会の一員として生活していられるのは、社会の一員として危険性な仕事を担ってくれる人がいるからで、自分がやりたくない仕事を担ってくれる人がいるからなんだよね。だから、その感謝の気持ちを、踏み台にしていた墓に向けたんだ」

 感謝の気持ちと引き換えに、私は高校時代から抱いていた心の問題が解決した。危険性の高い仕事や、駅のトイレ掃除などの仕事を目にするにつけ、それらの仕事の存在を感じるにつけ、自分の代わりにその仕事をやって頂いている、と私はいつも思っている。(了)

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