S氏は、にこやかな顔で私に言った。
「宮田先生は、よく踏む人なんだと思いました」
これは、当サイトで発表した『左脚の記憶』を読んだ彼の感想だった。拍子抜けする意外な感想が返ってきた。『左脚の記憶』は、私が踏み台にしていた墓石にお礼を言った話だ。
国語の授業のようになってしまうが、『左脚の記憶』のなかで著者が最も言いたかったことは、踏み台にしていた墓に向けた感謝の意味である。私が、墓を始めとして人より多くの物を踏んできたとか、足元の一箇所を何度も踏むのが好きだったなどと言いたかったわけではない。
たぶん、私は他の人と同じ程度しか物を踏んで来なかったと思うし、また、突然足元を執拗に踏むような動作も、地面に気持ち悪い虫がはいずっていない限りしてこなかったと思う。
拍子抜けする感想を言ったS氏の笑顔に吸い寄せられて、私は、
「ハッ?」
と思わず首をかしげた。S氏は、
「エッ?」
と首をかしげ返してきた。これまでの彼の笑顔が少しこわばった。
S氏は、私のエッセイ集『虫の正しい踏み方』の題名だけを知り、肝心の中身を読んでいないが故に、私が「踏む」という行為に一家言(いっかげん)ある人のように思ったのかもしれない。
我々二人は、互いに首をかしげて見つめ合った。怒涛のように押し寄せてきた虚無感に、私は気持ちが崩れかけた。
「Sさんは、確か〇〇大学の経済学部を卒業したんだよね。・・・大学に入った理由は?」
「えーっと、特にないです。自分の成績で入れる大学に入りました」
「経済学を勉強したかった?」
「いえ、特に」
「受験勉強はしたよね?」
「一応しました」
「なぜ受験勉強したの?」
「大学に入るためです」
「大学に入る理由が特になくても、受験勉強したの?」
「えー、そうです」
「理由は、あったと思うよ・・・」
私は、その理由についてS氏におよそ以下の通り説明した。