白いピアノ 10 宮田のエッセイ館

白いピアノ
白いピアノ 10

 我々は、入って来たドアから外に出た。修理中のグランドピアノが行く手を遮らなければ、建物内を移動して見て回れたのであった。外は相変わらず小雨が降っていた。大きな屋根のお陰で、外に出ても濡れる心配はない。昔は、滅菌して箱詰めされた医療用具が、屋根に守られてここから出荷されていったのだ。

 斉藤は私を案内するようにドア開けた。さっき彼が出てきたドアだ。開いたドアから建物に入りながら、私は自分が進んでいる方向を指して聞いた。

「ホームレスが居たのは、こっちの方?」

「あー、ホームレスね。ホームレスは・・・」

 と、彼は入りかけていたドアから外に出て、外から私に、

「こっち、こっち」

 と促した。

「ホームレスはそこだよ、そこに居たんだよ」

 斉藤は建物の隅を示した。竹笹に覆われた隣地の崖が、2メートル以上の高さで頭上に迫っている所だった。古びた金網フェンスが建物と崖の間にあって、そこから先の立ち入りを防いでいる。金網を覗きこんで、斉藤は言った。

「ここだよ、ここ」

 金網フェンスは、人の行き来が出来るように扉が付いていた。斉藤は扉を何度もガタガタと押してみたが動かなかった。南京錠を掛けるためのフックが錆び付いていた。

「あれっ、開かなくなっちゃったな」

 フェンスの向こう側は、建物に沿ってコンクリート製の犬走りが伸び、建物のドアで行き止まる。犬走りの上を屋根が覆い、屋根に届きそうな隣地の崖。それらに囲まれて狭まった空間は、人間が巣を作り易い場所であった。犬走りの上に、青色小型冷蔵庫とテーブル代わりにしていたと思われる木箱がまだ置いてあった。

 金網フェンスのこちら側は、以前ガラクタ置き場だった。斉藤の会社サウンドウェーブがここを買い取り、建物内を整理した時に不用物がたくさん出た。斉藤はガラクタ置き場の一角に、しばらくの間、青色の小型冷蔵庫があるのを目にしていた。見慣れた存在になっていた。それが、ある時から見えなくなった。気がついたら無くなっていたのだ。通りすがりの者に盗まれた、と斉藤は思っていた。どうせ壊れて使い物にならない代物なので、彼はあまり慌てなかった。

 実はどうやら冷蔵庫は、ホームレスが金網フェンスの向こう側に運んでいたのだ。ホームレスは冷蔵庫を、食器などを入れる戸棚として使っていた。少なくとも冷蔵庫がガラクタ置き場から無くなった時点で、すでにピアノ倉庫はホームレスの棲家になっていたのだが、当時の斉藤はその事に全く気づいていなかった。彼の意識は、金網フェンスの前に置かれたガラクタの山に遮られて、そこから奥に冷蔵庫を持って入る人間の行動が、想像できなかった。

 それから暫く経って、事態は動いた。

 

totop