白いピアノ 11 宮田のエッセイ館

白いピアノ
白いピアノ 11

「火鉢が無くなったんだよ。魚を焼いて食うためにさ、オレが買って、その辺に置いといたんだよ」

 と、斉藤は悔しそうに言った。ここは周辺に家が少なく、煙を出しても近所迷惑にならず、業務用の大きな屋根があるから雨の日でも安心して魚が焼ける。火鉢で作る焼き魚は、彼がここに泊まり込んで作業をする日の、飯のおかずだ。

 ある日、その火鉢が見えなくなったのだ。探してみても見つからない。

「畜生、盗られた!」

 悔しさと怒りがメラメラと湧いてきた。不意に彼の脳裏で、前に盗られた青色小型冷蔵庫と消えた火鉢が一つの線で結ばれた。

「うーん?」

 と、彼は何かに思い至ってガラクタ置き場を見た。意識の目は、ガラクタ置き場の向こう側にある金網フェンスの、さらに向こう側に届いていた。彼の記憶にあるその場所は、人間が巣を作るのに適した空間であった。

 斉藤はガラクタをかき分け、身体をよじって金網フェンスの前に到達した。彼はおっ魂消(たまげ)た。消えた火鉢が金網フェンスの向こう側にあったのだ。それだけではない。火鉢に鍋が乗っている。前に無くなった青色小型冷蔵庫もある。布団が一組、きちんと畳まれて台の上に乗っている。張られた紐にタオルが干されている。それらが狭い空間の中に収まって、人間一人分の生活臭をプンプン発散していた。

 斉藤は金網フェンスの扉を開けて中に入った。青色小型冷蔵庫を開けてみたら、スプーン、箸、お椀、コップ、歯ブラシ、歯磨きチューブ、などが整理整頓されて置かれていた。ここに住む者の几帳面さが伝わってくる。斉藤は腕組みをして感心した。しかし、感心している場合ではなかった。彼は金網フェンス前のガラクタ置き場を整理して、火鉢を外へ運び出した。

「それから、ホームレスは来なくなったよ」

 金網フェンスの前で、斉藤は私に言った。金網フェンスを支える柱がある。その柱に接して繁茂する竹笹が、よく見ると一か所だけ抉(えぐ)られていた。ホームレスは冷蔵庫や火鉢を、ここを引きずって中に運び込んだように見えた。

「じゃぁ、こっちに来て」

 斉藤は、私をピアノ倉庫のドアに促した。入った部屋は壮観だった。アップライトピアノで部屋が埋め尽くされているのだ。部屋空間の、床から三分の一までをピアノが占めていた。ざっと見渡して三十台くらいあろうか。部屋に立っているだけで、ピアノが押し寄せて来るような圧迫感がある。ピアノに染み込んだ旧所有者の歴史を、部屋いっぱいに感じる。およそ三十人分の歴史に対して、私は小さく会釈をした。

「部屋の奥にあるピアノを出そうと思ったら、どうやって出すの?」

「ピアノを一台一台ずらしていって、パズルを解くみたいに移動させて来るんだよ。アハハハ」

 斉藤は続けて言った。

「この部屋だよ、白いピアノが現れたのは・・・」

 

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