「お待たせ」
陽気な声が聞こえた。顔を上げると笑顔の斉藤が立っていた。我々は飲食店を出て、斉藤の軽自動車に乗り込んだ。
フロントガラスに落ちる雨滴を間欠ワイパーが弾き飛ばしている。車はどんどん駅を離れていった。平坦な土地が続き、家屋や商店が広い間隔を保って並んでいる。横須賀市では見られない広々とした光景だ。
ところで、と私は切り出した。
「斉藤さんは、駅の立ち食いそば屋で食べることある?」
「うん、あるよ」
「何を食べる?」
「そばに、必ず揚げ物を一つ乗っけるね」
斉藤は迷うことなく力強く答えた。揚げ物と言う時、瞬間的に鼻息が荒くなった。私は品川駅のホームで『かき揚げ天玉そば』を食べ、玉子が溶けたそば汁を残して来た。斉藤なら残さず汁を飲み干すのではなかろうかと、電車の中で考えていた。それを私は思い出して、確かめたくなった。
「汁は全部飲む?」
「うん飲む。ほとんどの場合」
やはり斉藤は斉藤であった。
「そばに、玉子は入れる?」
「入れない。若い時は入れた」
彼は、そばを食べきった後、汁で温まった生玉子をすするのが好きだったという。ところが、歳を取るにしたがって玉子の味が揚げ物に合わなくなってきた。それにさ、と斉藤は続けた。
「玉子は太るだろ」
揚げ物も玉子に負けず太りそうだし、健康に配慮するなら、そばの汁は残した方がいいのでは、と思いながら私は黙ってふんふんと頷いていた。
走るに従って周囲に家が少なくなった。側道に入ると道幅が狭くなり、道路中央に、車線を左右に分ける白線がなくなった。
「ここだよ」
斉藤はハンドルを大きく切って、軽自動車を四角張った建物がある敷地に乗り入れた。
「ここ?」
私は建物を見てびっくりし、語尾が派手に上ずった声が出てしまった。