賀詞交換会 2 宮田のエッセイ館

賀詞交換会
賀詞交換会 2

 K氏は「あれれれ」からようやく立ち直り、すぐに北海道にある保健所の話をした。K氏は北海道出身で、これまで北海道の保健所に医師として勤務してきた。言葉の端々に北海道地方のイントネーションがあった。私は北海道に6年間住んでいたので、耳が北海道の言葉をよく覚えている。聞いていて懐かしい。柔らかい言葉なのだ。

 K氏によれば北海道の、とある保健所は仕事がないそうだ。朝、保健所に出勤して30分くらい仕事をすれば、その日の仕事は終わってしまうらしい。確かに、そのような環境にドップリ浸かってしまったら、人生に良からぬ影響を及ぼしそうだ。それに比べれば横須賀市の保健所の方がよっぽどマシだろう、というK氏の口吻を感じる。しかしながら、私が横須賀市の保健所を辞めた理由は、仕事の忙しさや暇さの程度は関係ない。

 私が保健所に勤務していた時、ほぼ毎日定時の午後5時に帰宅していた。ならば保健所は暇だったのか、と言われると、一概にそのように決めつけられると困るのだが、保健所の職員は午後5時ジャストに帰ることができるよう、すごい努力をしていたのだ。と言うと、忙しかったように思われるのだが、そういう訳でもないのだ。

 その努力というのは色々あって、第一に、午後4時30分を過ぎると新たな仕事に手を出さないようにする努力である。下手に新たな仕事に手を出して思わぬ時間が取られでもしたら、帰宅時間が5時を過ぎてしまうおそれが生じるからなのである。では、午後4時30分を過ぎた彼らは何をするかと言うと、どうでもいい仕事をして、仕事をしている擬態をとる。すでに熟読し終えた書類を手に取って再び目を通したり、役所内のお知らせ回覧書類をペラペラめくったり、殊更眉間にシワを寄せて戸棚の資料を探したり、など。このような努力もしていたのだ。今ではパソコンが一人に一台普及したので、午後4時30分を過ぎたら、キーボードに両手を乗せてさえいればよくなった。キーボードの指が止まっていても、次に打ち込む単語を探しているように見える。恵まれた時代だ。

 午後5時が近づくと、保健所職員は時計に目をやる回数が多くなる。更衣室に入って着替えを済ませておく職員もいる。各自は机の上を整理整頓し身支度を整え、いつでも椅子から立ち上がれるよう身構える。このような努力の末に、彼らは5時の終業チャイムとともに席を立ち上がって脇目もふらずに帰宅していく。帰宅が一分間遅れたら、一分間損をした気持ちになるのだ。

 つまり、私が横須賀市の保健所を辞めた理由は、毎日午後5時に帰宅できるからでもなかった。辞めた理由について、私は自著『おとなしい豚』の『保健所』の章で、保健所の人間模様を含めて詳しく述べている。もしもK氏がこれを読んだら、「あれれれ」と倒れたまま立ち上がれないのではないか。

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