京急三崎口駅を出発したバスは、三戸入口を過ぎて引橋(ひきばし)に近づいた。
引橋には神奈川県立M崎高校があった。2004年に閉校になり、その後校舎は学園ものドラマの撮影などに使われたが、現在校舎はすべて取り壊されて、真新しい消防署が建っている。他に商業施設も建つ予定という。バスの車窓から高校があった面影は見つからない。
私はM崎高校が閉校になる話を、M崎高校出身である三崎人の友人から最初に聞いた。
「宮田ぁ、オメー知ってんか、M高がよー、廃校になってまうだと」
立て続けに、興奮した別の三崎人から、
「M高がよー、なくなってまうだぞ、廃校だとよ」
と連絡があった。三崎人にとって大変ショックなニュースだったようだ。
私は三崎人から連絡を受けて一瞬驚いたが、次第に冷静さを取り戻して人口減少の時代的流れをしみじみと感じた。そして私は廃校の決定に関して、
「やっぱりな」
と、妙に冷静な気分になって納得したのだ。
これがM崎高校でなく、県立横須賀高校が廃校になるというニュースならば、
「なんで?」
と素朴な疑問に包まれて、私は冷静でいられないだろう。県立横須賀高校は、横須賀三浦学区(この学区制は2004年に廃止されたが、我々の世代にとって馴染みがある区割り)で最も偏差値が高い進学校である。
かような高校が、他校を差し置いて廃校になるならば、これは日本国の弱体化を画策した中国や北朝鮮の陰謀だろうかと勘ぐってしまう。
私が中学生だった頃、クラスで成績が一番か二番の生徒は県立横須賀高校へ進学し、三番目か四番目につける生徒は県立追浜高校に進学するパターンが一般的だった。
私が通った三浦市立三崎中学校も同様のパターンであり、クラスで三~四番手の私は追浜高校に進学した。
当時の三浦市立三崎中学校の特徴は、第一に生徒のほぼ全員が日常会話で三崎弁を話し、第二にM崎高校へ進学する生徒が比較的多いことだった。M崎高校よりもレベルが高い高校に入れそうな生徒でも、家から近くて通いやすいからとか、周りのみんなが行くから、などの理由で安易にM崎高校を選択する生徒が多かった。
このような生徒の中には、進路指導をする担任の先生に、
「オレ(進学先は)M崎高校でいいだよー」
と、しかもタメ口で言ってしまう奴がいて、先生から、
「バカヤロー、オメー、そんなんじゃダメだ」
と、叱られていた。
断っておくが、進路指導の先生はM崎高校へ進学する者が「バカヤロー」だと言っているのではなく、安易な理由で高校を選択する者に対して「バカヤロー」と言っているのである。言葉による愛のムチを放ったのだ。この点、くれぐれも誤解なきようお願いしたい。
よくよく調べてみると閲覧資料には、M崎高校が「廃校」したとなく、他の県立高校と再編統合された、と記されている。再編統合は行政上の用語であり、また母校を失う卒業生の気持ちを慮った言葉でもある。
バスが向かっている三崎港の近くに、私の母校である三浦市立三崎中学校があった。あった、というのは数年前に閉校して他の中学校と併合したからだ。校舎は併合相手の中学校を用い、名称は三崎中学校を用いている。
母校が母校たる所以は、三年間過ごした場所に、絶対に消すことが出来ない思い出があるからだ。それ故、三崎中学校の名称が残っても、私は三崎中学校が無くなったと感じている。廃校とまで言わなくても、無くなったのだ。
ところで、引橋にあった高校をM崎高校と表記している点だが、これは拙著『虫の正しい踏み方』において、同校をM崎高校として紹介し今回もその流れを踏襲したからである。同書でM崎高校を、同校出身者の証言を交えて結構ディープに紹介したため、気を使って高校が特定出来ないよう仮名を用いた。(僕らはみんな病んでいるパート2に続く予定)