賀詞交換会 8 宮田のエッセイ館

賀詞交換会
賀詞交換会 8

 私はコップに注がれたビールを飲んで、矢継ぎ早にされた質問に次々に答えた。

 散骨業者に支払った料金が遺骨二人分で8万円弱だったこと。

 母と娘らしき人たちの外見上の年齢は、一人が40±5歳、もう一人が20±5歳と幅広かったこと。

 私と妻が彼女たちと言葉を交わさなかったので、彼女たちと骨になった人との関係は不明のままであること。

 私の兄と母の遺骨は、地上のどこにも残さず全部海に撒いたこと。

 兄と母の墓はなく、あえて墓と言うのならば、海全体か地球一つが二人の墓であること。私は毎晩のように海沿いをウォーキングしている。ウォーキングの途中、私は海に向かって合図するように、手を頭の高さにひょいと上げて、

「来たよ」

 と、心のなかで二人に語りかけている。こういう墓参りは、なかなか乙なものであること。

 質問をした三人は、私の答えを熱心に聞いていた。

 ところで、今年の賀詞交換会で散骨の話をしたのは、去年の賀詞交換会で言った自分の挨拶が布石になっているような気がする。

 ちなみに去年の挨拶は、

「皆様方が元気で新年を迎えられたことは何よりでございます。

 このような言葉は、若い頃の私でしたら言えなかったと思います。どうやら、私は人の幸せを望む気持ちが、以前よりも強くなったようなのです。それは、ある確実な認識を抱いてから、そうなったように感じます。

 数年前、五十歳になった頃ですが、突然、ある想念が身体を貫いて行きました。そして、

『ああ、なるほど・・・』

 と、私は自分の命の終焉をハッキリ見据えたのです。

 大きな病気を抱えているわけではありませんけども、五十歳になった頃から、私は、視力の衰えや、筋力の衰えなど、身体の各パーツの衰えを人並みに実感していました。

 ある時、この衰えが指し示す方向を、私は心のなかで追っていたのです。追っていった先にあったのは、生物学的な自分の終わりでした。次の瞬間、

『ああ、なるほど。生まれて生きて死ぬとは、こういうことだったのか』

 という想念が、雷に撃たれたかのように身体を貫いていったのです。これ以降、私は自分の命の終焉を笑顔で見据え、一歩一歩ゴールに向かって近づいていくという感覚で生きるようになりました。

 また同時に、人の幸せを望む気持ちが強くなったようなのです。これは、人類という、種としての同胞の繁栄を望む気持ちですから、生物学的には、終焉に向かう者の自然な欲求と言えるでしょう。このような心持ちの折に、横須賀三浦獣医師会の会長を拝命したのは、私にとってちょうどよい巡り合わせだったと思っています」

 去年のこの挨拶に、非難の声が全く上がらなかったので、今年、私は調子に乗って散骨の話をしたようだ。今年も非難の声は上がっていない。このまま調子に乗ったら来年はどんな挨拶になるだろう。(了)

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