兄の死   22 宮田のエッセイ館

失敗
兄の死   22

「歩けるわよタカシは。何でタカシはそんなこと言うのかしら」

 私は母の言葉を信じた。彼女は実家で倒れた時の記憶は無い。しかし、倒れるまでの記憶は所々残っている。

 例えば、兄が一日四合の酒を飲んでいたという母の記憶は、実家に山積みになった日本酒四合入りの紙の空パックで正しさが証明できる。「タカシは三合じゃダメなのよ。四合飲むと機嫌が良くなるのよ」と彼女は言った。

 また、母は少女のようにはにかみ、遠回しの表現で、兄と住んでいた時の自身の排泄に関するトラブルを私に打ち明けた。

 やはり兄は歩ける。歩けない振りを続けているのだ。兄は福祉担当者が呼ぶ救急車への乗車を度々拒んできた。入院したら身体機能の専門家に囲まれて、歩けないという嘘がバレるのを恐れたのだろう。

 結果的に、兄は意識混濁状態になって強制的に救急車に乗せられ、そして入院した。兄は入院した二日後に死んだ。

「タカシはどうしてる?」

「精神病院に入院してる。遠い所だから、お母さんは会いに行けないよ」

 面会へ行く度に繰り返される会話。兄が生きている時は、この嘘にさほど抵抗は無かった。しかし兄は死んだ。死んでいるのに生きていると母に言うのは、私の気持ちがきつかった。

 病院にある兄の遺体を葬儀屋に取りに来てもらい、そのまま火葬場に運んでもらった。火葬に立ち会ったのは、私と私の妻の二人だけだった。二人は焼かれる前の棺に手を合わせた。夫婦で手を合わせたこの儀式が兄の葬式だった。

 火葬場の控え室は二人で待つには広すぎた。兄の身体が焼き尽くされる時間を待った。ここでは誰もが手持ち無沙汰でこうするだろうと思いながら、私はお茶を飲んだ。隣の控え室には十人近くの遺族がいた。

 以前、知人が亡くなった時、同じ控え室で私は盆に乗ったせんべいを食べたことがある。ここで食べる茶菓子は、遺族の誰かが用意するものだろうかと、私は茶を飲みながら思った。妻とは他愛もない話をした。控え室に「そろそろです」と葬儀屋の人が呼びに来た。

 兄の遺骨を骨壷に収め桐箱に入れた。焼けた骨の熱が桐箱に伝わり、桐箱を持つ私の手を温めた。兄の遺骨は、いずれ散骨するつもりで私の部屋の隅に置いた。

 兄を火葬した日の夜、それまで高まっていた緊張感がいっぺんに解けていった。就寝の床の中で、久しぶりに静寂な気持ちが訪れている自分を感じた。私は意図せずに呼びかけた。

「お兄ちゃん」

 幼い頃、兄を呼んでいたように、子供の甘え声で呼んでいた。大量の悲しみが堰を切って溢れてきた。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん・・・」

 こみ上げてくる嗚咽に抗い、繰り返し呼びかけた。涙がボロボロと溢れ出て、声を上げて泣いた。心のどこにこれ程多くの悲しみが隠れていたのだろう。身体をくの字に折り曲げて布団に潜り込んだ。私は布団の中で、自分の気持に正直に振る舞った。

「お兄ちゃん、なんて惨めな一生だったんだよー、なんてつまらない一生だったんだよー」

 泣きに泣き、叫びに叫んだ。

「お兄ちゃんはオレに優しくしてくれたよね」

 石をぶつけられて額から血を流していた私を介抱し、石をぶつけた相手を謝らせてくれた。

 気分が乗らずに夕食を作ろうとしない母に、兄は「オレはいいから、和彦だけには晩飯を作ってやれよ」と言った。母はヒステリックに顔を歪めるばかりで動こうとしないので、兄は私に夕食を作って食べさせてくれた。

「ごめんな、オレが作ったから美味しくないけど」

 と兄は言った。

 私は布団の中で腹を深く波うたせ、まるで吐くように泣きじゃくった。

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