兄の死   18 宮田のエッセイ館

失敗
兄の死   18

 怪訝な面持ちで福祉担当者はこちらを見た。私は同じ内容をもう一度伝えた。

「着信拒否にしているので、電話は通じません」

 福祉担当者が言った。

「電話を再開できませんか?」

「しません。そんなことをしたら、私がノイローゼになります」

 私は首を横に振った。福祉担当者は兄に言った。

「何かあったら119番に電話して救急車を呼ぶんですよ。119番、分かりますよね」

「いらねー、そんなもの」

 兄は怒鳴った。

 我々は実家の玄関を出た。雨戸を閉ざした家から外へ出てみると、夏の陽が余計に眩しかった。

「兄から意味不明の電話が立て続けにありましてね」
 私は、実家からの電話を着信拒否にした理由を言った。NTTの女性係員が、私のところに着信拒否を確認する電話をかけてきた事があった。兄がNTTに苦情の電話を入れたようだった。冷静な対応を心掛けているはずの女性係員の声に動揺があった。彼女が兄の声に尋常ならざるもの、例えば覚醒剤でラリった暴力団員を感じても不思議ではない。

「兄は、家族を地獄に引きずり込みます。父と母は、兄の手にかかりました・・・」

 着信拒否にして地獄に引きずり込もうとする兄から逃れた、との理由を私は語尾の余韻に込めた。

 母が、兄の暴力によって入院していることを、福祉担当者も民生委員も知っている。しかし亡き父の晩年について、彼らは誰も何も知らない。知らないのをいいことに、父の晩年の不幸を兄だけに負わせようとする自分がいた。父の晩年の不幸に関して、私は人に言えない罪悪感を持っている。すべてを兄の責任にして、自分の罪悪感を無いものにしようとしたのだ。

 

 私が父を最後に見たのは、数年前、母からの電話で実家に呼び出された時だった。

「お父さんに会いに来なさい。会えるのも最後だと思うから」

 有無を言わせない高圧的な口調が受話器から聞こえた。感情の高まりによって、正義の高みに上った母は、時々このように言い放った。

 実家の六畳間で父は横になっていた。タオルケットを一枚かけて、頭に枕を敷いていた。一見すると秋の昼寝の風情であった。

 しかし、父は目を閉じていなかった。鬼のような怖い目つきで空中の一点を睨みつけていた。私が近寄っても、父は言葉を発せず一点を睨んだまま動かなかった。私は幼い頃、この目に震え上がっていた。この目で父は家族を怒鳴り、殴り、幼い私は泣いていたのだ。実家に巣食う悲しみや悔しさなどの黒い感情が、この鬼の目に宿っていた。

 六畳間には秋の陽が満ちて、開けた窓から弱い風が入り込んでいた。横になったままの姿が、父の目つきを一層不気味に感じさせた。私は居たたまれなくなり、父の視野の隅に避難したが、それでも自分が父から睨まれているように感じた。

 私は父と一言も交わすことなく別の部屋に移動した。母が言った。

「オレの人生も、いよいよ終わりだなって、お父さんが言ってたわよ」

 母は私に昼食を出してくれた。午前中に近所のスーパーマーケットで買っておいた弁当だった。この頃、たまに呼ばれて実家に行くと、出される昼食は決まってスーパーマーケットで売っている弁当だった。

 昔から母は、昼食を気分によって作ったり作らなかったりした。母の気分を読み誤って下手に「腹が減った」と言おうものなら、母は「一食くらい食べなくたって、死ぬもんじゃない!」とヒステリックに怒鳴った。電子レンジが無い時代だった。小学生の時、私は一人で台所に立ち、冷えた茶碗飯に冷えた味噌汁をかけただけの昼飯を作って食べることが珍しくなかった。

「六畳間で食べなさいよ」

 と母は勧めたが、父の視野に入る所では弁当が喉を通りそうもなかった。

 あの鬼の目は、家族喧嘩の予兆の一つだった。夕飯中に酒を飲んで喧嘩が始まる事が多く、その時、幼い私は食事を中断して泣いた。夕餉の食卓で私は、両親の口調の変化を敏感に聞き取り、表情の変化を敏感に読み取った。両親の口調が怒りを帯び、ヒステリックに歪んだ母の目と父の鬼のような三白眼が一直線に向かい合う。私は、ご飯が残った茶椀を置いて「またか・・・」と観念し、悲しみを迎え入れた。

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