「お兄ちゃん、通帳がどこにあるか知らない?」
「分からないな・・・」
「お母さんは貴重品を押入れの布団の間に入れてたよね」
「そうだ・・・お袋はよくそうしてたな」
兄の返答は穏やかな口調に変わっていた。二人はあの母を思い出していた。心が通じ合った兄弟の会話だった。二人はあの母に育てられ、この家で育ったのだ。私は、この家に住んでいた頃に戻ったような感覚に戻っていた。昔はこんな風に、「お兄ちゃん」と呼びかけていたのだ。警察官や市の福祉担当者らは、突然仲の良さそうな会話を始めた我々を興味深そうに見ていた。
私は押入れの上段を開けた。布団が一杯に積んであった。布団と布団の間に深く差し込んだ手に、硬い質感の何かが触れた。白色の古いハンドバックだった。ハンドバックの中にあったのは一万円札が十枚。通帳はなかった。
「お兄ちゃん、ここにお金があるから」
「うん」
「このお金を使ってね、布団の間に戻しておくね」
「オレは、金はいらねえ」
続いて私は兄に、母の現状を話してみたかった。しかし、それはプライベートの用件であったし、立会人は公的な時間を割いてここにいる。少しだけ母の現状を話そうか、との迷いは、玄関にいた民生委員の大きな声でかき消えた。
「玄関に手提げ袋がありますけど、これに通帳は入ってないかしら」
民生委員は家に上がらず、初めから玄関で待機していた。
押し入れの布団に手を差し入れる直前、「玄関に手提げ袋がありますけど・・・」と言う彼女の控えめな声を私は聞いていた。玄関に通帳がある訳はない、とその時は思っていた。押し入れの布団の間にも無いことが分かり、家捜しに行き詰ったので、私は小さな可能性を求めて玄関に行ってみた。
彼女は青色のトートバッグを私に差し出した。
「そこにありました」
と、玄関の下駄箱の上を示した。下駄箱の長さは2メートルあり、それは玄関の奥行きの長さでもある。昔は、下駄箱の上に電話機と模造の盆栽が置かれ、時々回覧板が置かれた。今は電話機も模造の盆栽もなく、乱雑に置かれた新聞紙だけが目立った。彼女が示したのは、玄関の出入り口に近い所い下駄箱上だった。
トートバッグの口にファスナーなどの留め具は無い。取っ手を左右に広げて中を覗くと、通帳らしき物が見えた。私はそれを手に取った。信用金庫の預金通帳だった。
「あった、これだ」
通帳のページには、二ヶ月ごとに振り込まれる遺族年金の記載があった。
民生委員はトートバッグを私に差し出す前から、その中に通帳らしき物を認めていたのだろう。彼女は、中の物の確認を私に委ねたようだ。
通帳を確認した私に彼女は言った。
「きっと、お母さんは家から逃げ出す時に備えて、通帳をすぐに持って行かれるように、玄関の引き戸近くに置いていたんじゃないかしら」
ここと似た事情の家を、彼女は見てきたのかもしれない。あるいは、彼女自身を母と同じ立場になぞらえて考えたのだろうか。
兄が座る真上の壁にエアコンがあり、注意を向けるとそこから弱い風が吹いている。手に触れる風は、暖かくも冷たくも感じなかった。
「エアコンが暖房になってますよ」
保健所の看護師が、兄の近くに転がっているリモコンの表示を見て言った。真夏の日中である。
「リモコンの使い方、分かりますか」
看護師の問いかけに、兄は曖昧に笑って「あー」と大きい声を出した。分かっているのか否かの判別がつき難い返答だった。看護師はリモコンの使い方を説明した後、念のためエアコンを止めた。
「三日に一度、様子を見に来ますから。何かあったら弟さんに電話して下さい」
市の福祉担当者は兄に言い、いいですね、というように私を見た。
「この電話からは私の所に繋がりません。着信拒否にしてありますから」
と私は答えた。