兄の死   14 宮田のエッセイ館

失敗
兄の死   14

 兄は背中を玄関の壁に着けて、廊下から左足をサンダルに下ろした。「かずしこ!」と怒鳴る兄が私に一歩近づいた。それまで私の中に溜まっていた怒りが、急に恐怖に置き換わった。彼が手に持つ角材が、こちらに向かって振り下ろされる恐怖だった。兄に恨まれる理由を私は思い浮かばなかった。恨まれる理由があるとすれば、しばらく実家を訪れていないことだった。

 

 最後に実家を訪れたのはいつだったろう。二~三年前だったような気がするが、はっきり覚えていない。それまでは、たまに訪れていた。用事があって訪問するわけでなかった。「たまには顔を出せ」と、母と兄に言われるので仕方なしに立ち寄っていた。彼らは退屈なようだった。昼間、実家近くの床屋さんに行ったついでに寄ることが多かった。午後の診察が3時からあるので、いつも短時間の滞在であった。

 いつか兄は、立ち寄った私に、

「実家のことはお前に任せたから」

 と言った。最初のうち、『頼りない長男のオレに代わって、実家の諸々をお前が継いでくれ、オレはこの先一人でやっていくから』と言っているように聞こえた。しかし、実家を訪れる度に無職の兄がいて、その度に同じことを言われるので、彼の真意が『オレも含めた実家の面倒をお前に任せた』であると分かってきた。しばらくして、

「オレはこの家を守るためにいるんだ」

 と、兄は胸を張って言い始めた。そう言う兄を私は惨めに思った。

 兄は、私が実家に上がると同時にタバコを吸った。私はタバコの臭いが嫌いだった。「来いと言われて来ているんだから、タバコは後で吸ってくれ」と要求しても、兄はバカみたいに私の前でタバコを吸った。

 実家へ寄る度に私は不愉快になった。家に引きこもっている人間の話は鬱陶しかった。また、母と兄は人の神経を逆なでするものの言い方をした。家族に巣食っているそういうものの言い方は、家族喧嘩が絶えなかった原因の一つだった。酒も原因の一つ。この二つを、いつまで経っても止めない家族だった。

「実家に寄った後は、あなたはいつも機嫌が悪くなって帰ってくる」

 ある日、妻に言われた。その頃すでに実家への訪問が間遠になっていた。

 最後に実家を訪れた時期は忘れたが、会話の内容の一部を私ははっきり覚えている。12歳の年齢差、体力差を傘にきた兄が幼い私にした理不尽な仕打ちを、洗いざらい言ってやりたくなったのだ。

 幼い頃の一時期、私は寝床に入って身体が温まると咳き込んでしまう体質になった。その咳込みに対して、隣室で寝ていた兄は「うるせー」と怒鳴った。時には、襖を開けて「うるせーんだよ」と怒鳴った。この約50年前の事実を兄に突きつけた。すると彼は、

「オレがそんなことする訳がない」

 と怒鳴って猛烈に否定した。本当に忘れているのか、嘘を言っているのか区別がつかなかった。どちらにしても、それ以上言うのがバカバカしくなったので、私はすぐに実家から飛び出した。それが実家を訪れた最後であった。

 この時、兄に言いたいことは他にもあった。二人で向かい合ってじゃんけんをして、勝った方が丸めた新聞紙で相手の頭を叩く、という他愛もない遊びを私が兄に持ちかけた時のことだ。おそらく、テレビでやっているのを見て子供だった私は真似をしたくなったのだろう。兄はムキになって言った。

「男だったら、勝った方が相手の横っ面を思いっ切り引っ叩くんだ」

 じゃんけんに勝った兄は、私の横っ面を新聞紙で思いっ切り叩いた。私は泣いた。

 また、食卓で食べ物の好き嫌いを言った私を、兄は突然「それなら食うな!」と怒鳴って平手打ちをした。私は泣いた。そのおかげかどうか分からないが、私は好き嫌いがほとんど無くなった。

 兄は小学生の私にランニングを強いた。小学校へ登校する前の時間に、兄が決めた実家近くのコースを走るのだ。兄はコーチ然として家に居たままタイムを測った。私はこのランニングが嫌で嫌でたまらなかった。沖に出ている父の帰宅が待ち遠しかった。父ならばランニングの強制を止めさせてくれるだろう、と思った。思った通りだった。父は「人にさせないで、自分で走れ」と兄に怒鳴り私のランニングはなくなった。

 

 廊下から左足をサンダルに下ろした兄は、玄関の壁に背をつけて動きが止まった。その姿勢が『家に上がれ』という意味に思えた。兄が持つ角材で殴られるかもしれないという恐怖に、別の恐怖が加わった。私が玄関の敷居から家のなかに踏み込んだ後、何かがきっかけになって、心の中で握りしめていた凶器を兄に振り下ろしてしまいそうな恐怖だった。

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