兄の死   13 宮田のエッセイ館

失敗
兄の死   13

 実は、私が今こうして書いているのは、『若い人たちへのアドバイス』が目的の一つにある。特に、私のような家庭環境で育った若い人を思って書いている。書き進めるうちに、そのような目的が芽生えていった。

 私は、自分のような家族喧嘩が多い環境で育った者は、接客業に向かない傾向にあるのではなかろうか、と感じることがある。なぜなら、感情的になっている飼い主の前で、私は家族喧嘩の喧騒の中に引き戻される感覚に襲われることがあるからだ。心的外傷と言うのだろうか、幼い頃の悲しみや無力感の中に、一瞬にして陥ってしまう。あの時の嫌~な気持ちが蘇るのだ。感情的な言動や、ヒステリックに歪んだ母の目が家族喧嘩の入り口だった。

「またこれか」

 幼い頃、家族喧嘩を前にして度々思った言葉を、今の私は自分の職場で思い、

「いつまでこれが続くんだ。いつまでオレを追いかけて来るんだ」

 とうんざりする。

 目の前の感情的な人がどこかに行ってくれれば楽になる、二度と自分の前に現れないで欲しい、と思ってしまう。思うだけでなく、状況の分水嶺において、私は商売繁盛よりも心の平安の方を選択してしまうのだ。この選択は自身の防衛本能から来るものだったろう。商売繁盛を目標に頑張っていたら、今頃私は精神を病んでいたに違いない。

 ある人は感情が先走った話し方で、こちらに電話をかけてくる。私が職場で何をしていようとお構いなしに、断りもなく相手の感情がこちらに切り込んでくる。

「またこれか」

 受話器を耳にあてた私の気持ちは、母の発狂電話を聞いた時の、幼い頃の悲しみや無力感の世界に退行する。

「いつまでこれが続くんだ」

 やはり、私はうんざりする。発狂した母がいつまでも追いかけて来るようなのだ。

 もしも、自分が家族喧嘩のない平和な家庭に生まれ育ったならば、今の職業をもっとやりやすく感じると思う。私と似たような境遇で育ち、現在接客業に就いている人がこれを読んでいたら、どうか私に一声かけて欲しい。その人の気持ちが知りたいのだ。自分の周囲の人に聞いてみても該当者がいない。本当は該当者がいても、心の傷を表沙汰にしたくないので本人は名乗り出ないかもしれないが。

 私は、私と同じような境遇で育った若い人に心から同情する。そういう若い人が、将来自分の人生を後悔しないように、私の書いたものが少しでも参考になれば良いと思っている。

 さて、話を元に戻す。

 と言っても、話の本筋を離れて色々と書いてきたので、話のどこに戻すか分かりやすくするため、ここまでのあらすじを記す。

『私の母が長男(私の兄)から暴力的な虐待を受けて入院し、入院先で母はアルツハイマー型認知症と診断された。

 母の退院後はグループホームに入居が決まったが、グループホームでかかる費用に、母の遺族年金を当てる必要があった。遺族年金が振り込まれる通帳は、兄が住む実家のどこかにあるはずだった。そこで、私は兄が住む実家の家探(やさが)しをしようと思った。

 ところが、民生委員は私一人の家探しは危険だと言う。兄弟ゆえに憎しみの感情が大きく振れることがあり、突発的に暴力事件がおこる危険性を指摘した。

 私は、この指摘を裏付ける出来事を思い出した。ある年の大晦日、私が久しぶりに実家を訪れた時のことである。玄関に出てきた兄は手に角材を持ち「かずしこ!」と怒鳴った。私は腹が立ち、心の中で凶器を握りしめた・・・』

 この後、民生委員の指摘を裏付ける出来事が続く。しかし、話が戻るところはそこではない。次は、動物病院での代診時代に、私が『心の中で凶器を握りしめた』と初めて意識した時の話になる。狂おしいほどの怒りを堪えた時に、初めて認識した心の構造である。若い人たちへのアドバイス、と思って読んでもらいたい。

 そのあとで実家の玄関で兄と対峙した、民生委員の指摘を裏付ける実家での出来事にようやく戻る。

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