階段を登って病棟3階にたどり着いた。なんとなく右の方を見ると、階段近くの部屋の中に母らしき姿を認めた。その姿はこちら側を向いて座っていた。
「あれっ、お袋みたいだな」
私は廊下に立ち止まり小声で言った。私の妻も一緒に立ち止まって見た。部屋の中に見えたのは一人だけなので、妻は私が誰について言ったのか分かったはずだった。
「えっ、そう?」
妻には別人に見えたようだ。もしも別人ならば、ここで話題にしていたら失礼だった。私は受付で教えてもらった病室の確認を優先させた。
病室に母の姿はなかった。夏の陽が窓に広がる明るい六人部屋だった。窓際のベッドに母の名前があり、部屋入り口に六つ並ぶ名札の一つが母の名前であった。病室に間違いはなかった。
母の所在について、看護師さんが、
「今、多目的ルームで昼食を摂っています」
と教えてくれた。ベッドを離れて食事ができる患者は、多目的ルームで食事をするという。その説明に、重篤でなさそうな母の状態がうかがえて少しホッとした。病状が今まで不明だったのだ。看護師さんが指し示した部屋は、廊下の突き当たりであった。そこは母に似た姿を認めたところだった。
真夏の病院は廊下にも冷房が効いていた。多目的ルームに入って、私は母と思った人の前にテーブルを挟んで座った。隅のテーブルに患者さんがもう一人座っていた。
「お母さん?」
疑いなく母と認識出来なかったので、恐る恐る声を掛けたら尻上がりになってしまった。テーブル上に落としていた顔がゆっくり上がった。これまで見たことがない顔が私に向けられた。まるで表情がなかった。この顔に比べたら、一般的に『無表情』と呼ばれる顔の方がよっぽど表情があった。無表情と言っても、いわゆる生気というものが顔の筋肉に何かしらの緊張を与えているものだ。
眼と口がだらしなく開き、顔全体の筋肉が緩んでいる。顔の骨格に伸びきった筋肉が付着している、という顔だった。見てはいけない怖いものを見た、と思った。母ではない。反射的に私はのけぞって席を立ちかけた。
すると、こちらにだらしなく向いていた眼に力が入り始めた。筋肉が緊張して眼が開かれ、続いて緊張が口元に及んだ。眼に現れたのは恐怖だった。力が戻った口から悲鳴のような息が漏れた。
この時、私は目の前の人が母であると認識した。戻った表情は弱かったが、瞬く間に母の顔になった。
「お母さん、オレのことが分かる?」
母はゆっくり頷(うなず)いて答えた。
「分かりますよ」
小さかったが意外にはっきりした声だった。顔に恐怖の表情が残っている。恐怖を表す眼の底に狂気を探した。母のヒステリックな性格が、実家に家族喧嘩が絶えなかった大きな原因の一つだった。幼い頃から、私はヒステリックに歪んだ彼女の顔、狂気をたたえた彼女の眼にさらされてきた。
母は車椅子に乗っていた。彼女が車椅子に乗っている姿は、私にとって初めてだった。