兄の死    2 宮田のエッセイ館

失敗
兄の死    2

 受話器を取ると、中年の女性が神妙な声で切り出した。

「もしもし、恐れ入りますが・・・」

 女性は住所をひとつ私に言い、その住所を知っているかと尋ねてきた。

「はい、そこは私の実家の住所ですが」

 女性は重い溜息をハーッとついた。住所地住人の親族がようやく見つかった、という溜息だった。実家で何かが起こったのだ。実家には母と兄が二人で住んでいた。年老いた母と無職の兄。いずれ二人の生活に何かがあるだろう、と数年前から思っていた。それがついに起こったのだ。

 今度は私が受話器に向かって神妙になった。電話の女性は民生委員と自己紹介した。

「実は、あなたのお母さんは今入院しています。救急車で病院に運ばれました。通行人が自宅で倒れているお母さんを見つけたんです。今から三日前です」

 自宅の中で倒れている母を通行人が発見して救急車を呼んだという。通行人がどのようにして自宅の中で母を発見したのだろうか? 知人が用事で実家を訪ねたとか、新聞屋さんが集金のために訪ねたなどの状況なら分かるのだが。

 ただでさえ、実家は他人が近づき難い雰囲気を放っていた。兄は訪問者に胴間声を放つ。訪問者に少しでも疑念を抱けば(比較的抱きやすいのだが)、威嚇するような大声になる。気の弱いセールスマンなら回れ右をして帰ってしまうだろう。兄は若干の戦闘モードが入ると(比較的入りやすいのだが)、ゴツイ角材を握りしめて来訪者に相対する。肉体労働で鍛えた太い身体が、角材を持ち尋常ならざるオーラを放って目の前に立ちはだかるのだ。

 これらを知っているので、近所の人は実家に近づきたがらない。発見した通行人とは一体どのような人だろう?

 私は母が入院している病院に車で向かった。車で30分のところだった。民生委員さんの話によれば、今回の件に警察は関与していないようだ。それが不幸中の幸いだった。刑事事件にならないだろう。

 実家は家族喧嘩が絶えなかった。父、母、そして12歳年上の兄が喧嘩するところを私は見て育った。ある時は夫婦喧嘩、ある時は親子喧嘩、ある時は三つ巴の喧嘩だった。激しく罵り合い、物が飛んで取っ組み合った。喧嘩が始まると、幼い私はいつも泣いていた。

 私が小学校5年生になる時、母と私は神奈川県の実家を離れて東北地方の町に移り住んだ。家族喧嘩の絶えない環境から母が私を避難させたのだ。転校先のクラスメートから引っ越してきた理由を聞かれて、私は「お父さんの仕事の都合」と答えた。母から「聞かれたらこう言うんだよ」と言われた通りに答えた。嘘をつくのが辛かった。(宮田のエッセイ館で紹介した『左脚の記憶』にあるのは、この時期のことだ)

 母と私が実家から離れた生活は一年間で終わった。二度と家族喧嘩をしないという約束を、父、母、兄の三人が私にしたからだった。しかし、神奈川県の実家に戻ると、まるで約束が無かったかのように家族喧嘩が勃発した。三人共に、自分は悪くなく相手が悪いから喧嘩になる、と言う。約束を破って喧嘩になっても、それは相手が悪いからだ、と言う。だから喧嘩になっても仕方がない、と三人共に言った。

 車は母が入院する病院に到着した。受付で聞くと母の病室を教えてくれた。

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