私の兄が死んだ。
この連絡を市の福祉担当者から受けた。兄が入院してから二日後であった。腹水によるものと思われる異様に突き出た腹、日本酒を一日三~四合飲む習慣、軽度の意識混濁などがあり、入院前の彼はどう見てもアルコール摂取による障害があった。病院から渡された書類に肝硬変、腎不全、多臓器不全とあった。
死亡する約二ヶ月前から、市の福祉担当者は兄が一人住む家屋を定期的に訪れていた。この間、福祉担当者は兄の状態を見て病院の受診を勧めていたが、兄は従わなかった。福祉担当者が呼んだ救急車が到着しても、兄は頑なに乗車を拒んだ。呼ばれた救急車が誰も乗せずに引き返したことが二~三度あった。
ある日、福祉担当者が兄の元を訪れると意識が昏迷傾向にある兄がいた。入院するか否かの意思表示を、兄はほとんど出来なかったらしい。福祉担当者と救急隊員が横たわる兄を引っ張りだして担架に乗せて救急車に運んだ。彼はそのまま入院していた。
そう長く生きないだろう、と私は思っていた。しかし、入院してから二日後の死は予想外に早かった。兄の隣に住む人が驚いて言った。
「だって、お兄さんは歩いてたんだよ、救急車で運ばれる前の晩に。コンビニ袋を持ってさ。コンビニで酒でも買ってきたんだろう、ってオレ思ったんだ。間違いなくお兄さんだったよ」
兄の家の前にある街路灯が、家に帰る兄を煌々と照らしていたという。
早い死が予想外であった一方、ホッとする自分がいた。仮に今回退院できたとしても、兄は同じことを繰り返すに違いなかった。再び福祉担当者の訪問を受けて、救急車が呼ばれて乗車を拒否し・・・入院して退院し・・・。
「何か食べてますか?」
福祉担当者が兄を訪問して聞いた。兄に定期的な訪問を開始して間もない頃だった。
「オレは食いたくねえんだ」
兄は威張って答えた。
「脱水症になるので水は飲んでくださいね。一応これ置いときます」
「いらねえ、そんなもの」
兄の返答を聞き流して、福祉担当者はスーパーで買った海苔巻き弁当を置いて帰った。
「三日後にお兄さんを訪問した時、海苔巻き弁当は空になっていましたよ」
福祉担当者は呆れ顔で私に言った。
「ところで、お兄さんは本当に歩けないんですか?」
兄はいつも寝床であぐらをかいて福祉担当者に応対していた。歩けない、と兄が言うらしい。私は答えた。
「歩けると思いますよ」
しばらく前から兄は自分の足で人生を歩けなくなっていた。『歩けない』という言動は、彼自信の人生を象徴しているように私は思えた。