坊さんの説教 4 宮田のエッセイ館

ローマ法王の言葉
坊さんの説教 4

 「オメーら、目障りだ!さっさと失せろ・・・」

 何の前触れもなく、私は数人の修行体験者とともに、位の高そうな坊さんから突然怒声を浴びせられた。まるで、穢らわしい虫けらを蹴飛ばすように言い放たれた。

 それは掃除の時間に廊下掃除をしている時か、自由時間に洗濯をしている時のどちらかだったように記憶している。騒がしかったとかダラダラしていたなどの、怒られても仕方がない無作法を我々は犯していない筈であった。

 怒声を浴びせられた時、私は「理不尽だ」と腹が立った。また、修行体験終了時に永平寺側から感想を書くようにと渡された用紙いっぱいに理不尽さを書き綴り、感想文の最後を「文章の途中だが紙幅が尽きた」で締めくくったことを今でもはっきり覚えている。

 私は坊さんに腹が立ったのと同時に、怒鳴るに至った彼の昂ぶった心持ちを感じ取った。その日は、中村元先生が講演のために永平寺を訪れる日であった。彼は重要な来客を控えて興奮し、賓客に対して粗相があってはならないと神経質になっていたのだろう。

 坊さんの気持ちを中村元先生が占領していた。そういう彼の目に入ったのが我々修行体験者である。高名な仏教学者である中村元先生と我々修行体験者を比較すれば、月とスッポン、王様と奴隷、人間と虫けら。坊さんのイライラと昂ぶった気持ちの中で『高貴と下賤』が化学変化を起こし、爆発的な怒声になったと私は思ったのだ。坊さんは位が高そうであったが、その程度で気持ちがパニックを起こすのであれば、まだまだ修行が足りないのではなかろうか、と私は言ってやりたかった。

 修行体験が終わって、私は再び自転車に乗って永平寺を後にした。福井県、岐阜県、長野県、山梨県の険しい峠道を通り、一週間ほどかけて神奈川県の実家に到着した。

 

 数年前、私は野々村馨著の『食う寝る坐る永平寺修行記』を読んだ。野々村氏は、サラリーマンを辞めて永平寺に入山し雲水として修行を一年間行った。外からではうかがい知れないのだが、永平寺では、新人雲水が先輩雲水から殴る蹴るの指導的暴力および暴力的言葉を日常的に受けていることを読んで知った。

 暴力的風土がある永平寺において、私が坊さんから受けた怒声は、あって不思議でなかったのだ。むしろ、ささやかな出来事だったのだ。(了)

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