坊さんの説教 3 宮田のエッセイ館

ローマ法王の言葉
坊さんの説教 3

 5日間の修行体験が終わった。永平寺から修行体験の感想を書くように求められ用紙と鉛筆を渡された。様々な感想を持って、私はここでの生活を終えようとしていた。

 一日三回支給された食事は思ったよりも美味しく頂いた。質素だったが薄味で素材の味が生きていた。特に煮物で感じた。口の中で舌が食べ物の味を強く追った。

 食事内容は永平寺で修行をする雲水と同じもので、調理は永平寺内の厨房で坊さん達がする。調理自体が修行。調理の指揮は位が高い坊さんが務める。坊さんの「気」がこもった食事はとてもありがたかった。このように調理された食事が、雲水の修行の支えになっていると思った。

 音を立てて食事をしてはならなかったので、漬物を食べる時が困った。普通に食べればパリパリ、ポリポリと音が出てしまう。口を閉じて漬物をゆっくり噛むのが音を立てないコツだ。慣れないうちは食事中派手に「パリッ」とやってしまい、ヒヤッとして咀嚼が止まる。食べ方に慣れてきても一瞬の気の緩みで「ポリッ」とやってしまう。

 食事は三食ともに坐禅部屋でする。坐禅部屋は通路に沿ってひな壇があり、坐禅はひな壇に座り壁に向かって行う。食事は同じ場所に座り、壁でなく通路に向かってする。

 つまり、食事も坐禅と同じ凛とした雰囲気で行われる。静謐溢れた空気の中、何処からともなく漬物を豪快にかじってしまった音が「パリッ」と響く。実際よりも百倍くらい大きい音量で聞こえる。聞いた方もヒヤッとする。他山の石とすべき音だった。

 坐禅部屋に響く音と言えば、坐禅中に指導係の坊さんから警策で肩を打たれる音がある。私は5日間で2~3回打たれた。雑念の注意喚起には、ちょうどいい痛みだった。

 ドイツ人の修行体験者は、警策で打つ行為を「暴力」と非難気味に言っていた。禅の世界に暴力はない、と彼はどこかで聞いていたらしい。打つ相手に気づきを与える点において、この程度の肉体的な刺激は到底暴力と呼べない、と私は考えた。

 以上のような内容は、永平寺から感想を求められて渡された用紙に一切書かなかった。私が書いたのは、永平寺で出会った一人の坊さんについてだ。彼は、着ていたものからすると位が高そうな坊さんだった。彼に言われた一言が不愉快極まりなく、私は腹を立てていた。私はそのことについて用紙一杯に書いた。

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