ローマ法王の言葉  宮田のエッセイ館

ローマ法王の言葉
ローマ法王の言葉 

 以下、毎日新聞ニュースから転載。なお記事にある14日とは、2016年5月14日のこと。

 

 『ペットよりも苦しむ隣人を愛して——。フランシスコ・ローマ法王は14日、現代人が猫や犬などのペットを偏愛するあまり、人間同士の連帯が時にないがしろにされていると嘆いた。

 イタリアのANSA通信によると、法王はバチカンのサン・ピエトロ広場で開かれた謁見で、カトリック信者らを前に「猫や犬には大きな愛情を感じているのに、隣人の飢えは手助けせずに放っておく人をしばしば目にする」と述べた。

 法王は、難民・移民やホームレスなどの弱者を助ける「貧者の教会」路線を掲げており、他人の苦しみを実感できない現代の「無関心のグローバル化」に警鐘を鳴らしている』

 以上の記事は、当サイトの「神奈川県獣医師会理事就任の挨拶」で表した内容に近いのでここに紹介した。

 

 世の中には餓死する人が絶えない。餓死する人に比べれば、犬を飼う人は飼える立場にあるというだけで幸せだし、猫にエサを与える人はエサを与えられるだけ幸せだ。だから若い頃の私は、動物病院を開業するつもりは毛頭なかった。そういう幸せな人に対して自分がサービスを提供する必要性を全く感じなかった。自分がサービスをするとすれば、餓死するようなもっと弱い立場の人に対してだった。大学の獣医学科を卒業して入った横須賀市保健所を辞めて民間のボランティア団体に入った動機には、そのような気持ちが含まれていた。ボランティア団体での顛末は、拙著『おとなしい豚』(電子書籍版)を参照されたい。そこでの活動の様子を格好をつけずに描いてある。特にフィリピンでの植林体験の章は、読者が最も惹かれるようだ。電気、ガス、水道がない山中で寝起きをしながら、灼熱の太陽にジリジリ焼かれてする作業の模様を描いている。

 フィリピンから帰国してから、私は動物病院を開業しようと決めた。自分のために生きていこうと開き直ったので開業を決めることができた。

 開業してから4~5年経った。その頃、たまに顔をだす居酒屋があった。私は居酒屋のカウンターに座り、何杯かビールを飲んだところで店のマスターに言った。

「生後3ヶ月の犬がいて、もらい手を探しているんですけど、マスターはどうですか」

 すると、マスターは途端に表情を堅くして語気強く言い放った。

「なに、犬なんか。人間だって食えない社会なのに」

 私の言葉が彼の心のツボを刺激したようだった。彼は自身の気持ちを鎮めるように続けた。

「オレが育った福島県は、昭和三十年代まで間引きされた赤ん坊が川を流れていたんだよ」

 私の目の前に赤ん坊の死体が流れていった。

「あのー、私はマスターの気持ちがよく分かります」

 私は自分が獣医師であることを告げると、彼は言った。

「ああ、だから犬といったのか。そうか、そうか」

「マスターが居酒屋をやって生活しているように、私は動物病院をやって生活しているんです」

 彼はとりなす様な笑顔を浮かべた。(了)

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