妄想ババア 6 宮田のエッセイ館

妄想ババア
妄想ババア 6

 この距離がどれ程のものか、自分が土地勘のある場所で具体的に考えてみると、横浜駅から三浦市役所までが約50kmである。昔、この区間を夜通し歩く徒歩大会があり、三崎の連中が多く参加したので50kmという距離を私はよく覚えている。

 兵庫県の某所で54kmと言われてもすぐにピンと来ないが、横浜駅から三浦半島の先端(いわゆる三崎)までをママチャリで行った、と想像した方が三崎人の私にとって実感がわく。道は平坦でなく坂もある。想像しただけで、私は途方に暮れる。しかも調律する時の斉藤はいつも背広姿だから、ママチャリも背広姿で乗っていたのだ。斉藤は私と同級生で、この時56歳であった。普通、56歳の人は背広姿でママチャリを54kmも漕がないのである。

 兵庫県に限らず、斉藤は関西方面に調律の仕事でたまに行く。彼は、

「東京から大阪までの夜行バスが片道2500円なんだよ。往復夜行バスを利用して、大阪でピアノの調律を3件やれば仕事になるんだよ」

 と、酒を一緒に飲んだ時に興奮して言っていた。

 深夜バスで朝大阪につくと、彼は調律先へ行くために駅前でママチャリを借りる。斉藤によると、関西は関東よりも駅前レンタル自転車の店が多いそうだ。大阪のレンタルママチャリは、二人乗り防止のために後部座席が外されている。その代わり、ハンドルの前にカゴが付いている。調律道具が入った重さ13kgのジュラルミンケースは、そのガゴに収めるには大きすぎる。そこで、カゴの上にジュラルミンケースを載せてゴムバンドで括りつける。重量がかかり不安定になったハンドルをヨロヨロと操作して、背広姿の彼はママチャリで大阪の街を走る。その日の斉藤は、大阪で調律を3件こなして深夜バスで東京に戻って来るのだ。

 話は長くなったが、つまり妄想ババアのビールを飲んでも斉藤は支障がなかった、支障がなかったどころか、最近の斉藤はより元気になったように思える、と言いたかったのだ。

 さて、妄想ババアからお中元として缶ビール・ウイスキーが届けられてから6ヶ月経過した。斉藤の元気さを確認して、私はついにビールを飲む決心をした。

 嬉しいような怖いような複雑な心境で、一口目のビールを口にした。食道から胃へ流れるビールを意識で追った。ビールの缶を手にとって眺め、私は納得したように頷いた。ビールは普通に美味かった。その後一日一本のペースで缶ビールを飲み、妄想ババアから贈られたビールを全部飲みきった。結果として私は元気だった。

「お中元の時期にまた送ってきたりしてね」

 我々夫婦は冗談で言い合っていた。ところが、次のお中元の時期に妄想ババアからウイスキー2本と500mlの缶ビールが4ダース届いたのだ。それから定期的に、およそ年に一~二回届くようになったが、届く時期が贈り物の時節からずれていたり、一回に届くビールの数が4ダースでなく2ダースに減ったりと変化があった。ビール2ダースの時は、私は残念な気持ちになって、

「なんだ、今回はビールが少ないじゃないか」

 と妻に文句を言っていた。慣れとは恐ろしいものである。

 妄想ババアからウイスキー・ビールが届けられるようになってから、一度だけ妙な紙切れを私は見つけた。病院出入口のドア下の隙間から、病院が閉まっている時に滑りこませた紙切れだった。その紙切れには、

「犬を殺さないで、2千万円は私のもの」

 と書いてあった。妄想ババアの仕業に違いなかった。二十年前に妄想ババアから執拗な嫌がらせを受けていた時、これと同じような紙切れの手紙を、私は何度か受けていた。筆跡は間違いなく二十年前の手紙と同じものだった。(了)

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