妄想ババア 4 宮田のエッセイ館

妄想ババア
妄想ババア 4

 二十年間の入院治療の効果があったとすれば、妄想ババアが半分くらい正気に戻る可能性がある。すると、私にビールとウイスキーを贈った理由に疑問が生じる瞬間がある。脳内でシナプス信号がバシッバシッと音を立てて妄想と現実の間を行き来する彼女は、正義に目覚めてすっくと立ち上がるのだ。脳みそがショートした煙が耳からモクモクと出ている異様な姿で、

「おのれー!」

 と叫び、立ち上がって脇目もふらずに目指す先は私の動物病院である。彼女は、二十年前嫌がらせ電話をかけてきた時と同じ声色、つまり宇宙人と交信するような声で「ニモツヲカエセ」と怒鳴り込んで来るだろう。その時、荷物のビールが消費されていれば、正義の人妄想ババアは、私をドロボー呼ばわりするに違いない。それがきっかけとなり、二十年ぶりに執拗な嫌がらせが始まらないとも限らないのだ。

 二十年間の入院治療の効果がない場合、あるいは治療をしていなかった場合はどうだろう。妄想ババアは妄想ババアのままであり、送った荷物に新たな妄想を抱いて私にどんなちょっかいを出してくるのか想像がつかない。

 一番好都合なのは、妄想ババアが荷物を私に贈った理由を正しいと信じ続ける場合だ。荷物のビールを飲んだとしても、私は誰からも咎(とが)をうける心配がない。しかし、彼女がそのように信じ続けると全能の神様が保証してくれたとしても、私は気持ちが悪くて飲めないのだ。これは明らかに、二十年前に彼女から受けた嫌がらせのトラウマである。

 私は八方塞がりの状態に陥った。送られてきた荷物を返すに返せず、飲むに飲めないのである。

 荷物が届いてから数日が経過した。妄想ババアから音沙汰はなかった。二十年前の嫌がらせの時は、いたずら電話が二~三十本かかってくる日が途切れなくしばらく続いたのだ。気持ちのどこかで、妄想ババアの再来襲を警戒する日々であった。

 荷物が棚に置かれたまま二~三ヶ月経過した。妄想ババアから相変わらず音沙汰はなかった。荷物が届いた当初、身体の周囲を取り巻くようにしてあった気味の悪さが、身体から離れたところに遠ざかっているように感じられた。長期間の放置でビールの味が落ちると友人から聞いたことも手伝って、この頃から「荷物のビールを飲んでもいいのかな?」と少しずつ思い始めた。

 真夏に荷物が届いてから季節は秋を過ぎて冬を迎えた。来年用のカレンダーを持ってピアノ調律師の斉藤が私の動物病院にやってきた。年末の得意先回りの途中らしかった。

「これ、どうぞ」

 斉藤はカレンダーを差し出した。

「おー、ありがとう」

 私は筒状に丸めてあったカレンダーを広げた。風景画の月めくりカレンダーだ。斉藤が社長を務めるサウンドウェーブの社名が小さくプリントしてある。斉藤が毎年持ってくるカレンダーの風景画は、いつも私の動物病院の診察室を飾っていた。

 斉藤の顔を見たら突然素晴らしいアイデアが閃いた。斉藤はビールが好きなのだ。

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