閉会の言葉 2 宮田のエッセイ館

解決した心の問題
閉会の言葉 2

 褒められれば嬉しいし、自信や勇気が湧く。たった一言で人の気持ちは明るくなる。だったら褒めてあげよう、と思う。

 以前の自分なら、初対面の人にこんな気障(きざ)な声かけをしなかっただろう。第一に照れくさかった。第二に大人の落ち着きが身についていた。と自己分析するが、この大人の落ち着きが曲者(くせもの)であった。

 私は他人の素晴らしい点を前にした時、それを認めない態度、それを取るに足らないものであるかのように評価する振る舞いをしたことが珍しくない。相手に対するトキメキや憧憬や嫉妬などを、『大人の落ち着き』を装った態度に封じ込めていた。そういう態度で全身を固めている中年男を見て、私は、奴らの陰険さやみみっちさにつくづく嫌気が差してきた。

 そうして私は我が身を振り返った。自分が装いの態度で守っていたものは、実はちっぽけなものだったのだ。こんなものを後生大切に守る方がよっぽどつまらないのだ。どうせ寿命が尽きるまで、あとたったの2~30年。自分の人生をもっと楽しく演出したくなった。

 ここは横須賀市にある神奈川歯科大学の大講堂。つい2時間前まで、この大講堂で神奈川歯科大学の献体慰霊祭が行われていた。解剖学実習に供された献体に対するものだ。

 Hさんが立つ舞台の床に、慰霊祭の正式名称が書かれた看板が降ろされている。さっきまで、舞台の高いところに掲げられ、客席に座った慰霊祭参加者の目を集めていたのだ。どうやら、私が準備に加わっている式典の横断幕は、この看板に貼って掲げるようだ。

 私は横看板に刻まれた「霊」の文字に引きつけられていた。我々が手配した横断幕は紙製である。紙を通して「霊」が透けて見えはしないだろうか、と心配だったのだ。

 少し待っていると、その横断幕が舞台に届けられた。ロール状に束ねられた横断幕を、大講堂に顔を出していた式典関係者の手で広げてみた。紙製といっても、長さ7m、幅90cmのサイズがあると結構重い。横断幕を看板に合わせると、紙が思った以上にたわむ。たわむ負荷で紙が切れそうな気がして不安だった。人手は少しでも多い方がよかった。

「Hさん、ちょっとちょっと」

 私はHさんに声をかけて手伝ってもらった。緊張すると言っていたHさんの気持ちを、みんなでワイワイやってほぐすためでもあった。

 紙の横断幕の裏側上縁に、小さく切った両面テープをおよそ等間隔でたくさんくっつけて、それらを看板上縁に貼りつけた。紙の下縁も適当な間隔で看板に貼り付けていった。

 一応、貼り付け方はこんなものでいいだろう、という雰囲気になった。私は言った。

「それじゃあ、看板を持ち上げてみましょう」

 看板を吊っているワイヤーロープを、舞台裏にあるハンドウインチを回して手繰(たぐり)り寄せた。看板がだんだん高くなっていく。ハンドウインチの扱い方は、神奈川歯科大学の総務課の人から事前に教わっていた。舞台の高いところで横断幕の位置を固定した。掲げた横断幕を客席から見るため、私は舞台を下りた。果たして、客席から見て「霊」の文字が透けていないかどうか・・・。

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