左脚の記憶 2 宮田のエッセイ館

解決した心の問題
左脚の記憶 2

 この世の者でない者が遊ぶ時間は夜のはずだし、私がこの通路を通るのは遊び終わった夕暮れ時だった。うかうかしていたら白い子供の遊び時間に足を踏み入れてしまう。いや、既に足を踏み入れているかもしれない。そういう恐怖心で身体を固くしていた。この通路を一気に走り抜けていたという記憶は、強い願望の記憶だったような気がする。とにかく少しでも早くここを走り抜けたかったのだ。

 私は本堂裏手の墓地に立ち、境内の外を眺めた。塀の向こう側に民家が幾つか建っている。その中から小さなアパートを探した。10歳の私が一年間住んだ所だ。

―ああ、無くなってる―

 久しぶりに見たかったアパートは別の建物になっていた。私が住んでいた一階の部屋から、塀越しに墓石の頭が見えていた。

 建物を見ていた視線を下ろして、塀を背にして並ぶ墓石に目をやった。その中から私は、ひとつの墓を探した。寺の山門から墓地間の通路を通り、塀を乗り越えて自宅アパートに至るルートは、私が開発した近道だった。塀を乗り越える時、いつも同じ墓石を踏み台にしていた。その墓を探した。

 私はある墓を凝視しながらその正面に立った。私が乗り越えていた塀に、Tの字を成すよう別の塀が垂直に接していた。目的の墓はその塀の近くにあった。アパートと隣の民家を仕切る塀である。

 塀を乗り越えた時、私は隣家のおばさんと目があったことがある。おばさんは縁側にいて、塀の上に突然現れた私を見上げた。合わせる顔がなかった。足元が塀に隠れていても、墓石を踏み台にしていたことは一目瞭然だった。私はアパート側に素早く身体を落とし、おばさんの視線から隠れた。私はいつも、二つの塀がTの字に接するところに手をついて塀を乗り越えていた。

―この墓だ―

 墓を正面から相対して見ると、アパートと隣の民家を仕切る塀が、墓石の中心線から少しずれた所に見える。ずれの幅を目が覚えていた。この墓に間違いなかった。

 踏み台にしていた墓に手を合わせようと思ったら、急に人目が気になった。周りの風景に目をやる振りをして、私は人影を探した。本堂の裏には、本堂の屋根から落ちた雪がシャーベット状に残っていた。周囲に人気(ひとけ)はなかった。

 私はジャンパーのポケットから両手を出して、墓に改めて向かい合った。合掌して瞼(まぶた)を閉じた

「あっ」

 思わず小さな声が出た。今見えた暗闇は、全く私がここで昔見ていた暗闇であった。

「ごめんなさい、お許し下さい、化けて出ないで下さい、安らかにお眠り下さい、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

 と、ありったけの言葉で無礼を詫びて合掌する10歳の自分が、私の目の前に立っていた。塀を乗り越える直前、いつもここでそうしていた。

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