・・・という前ページの『泣き捨て地蔵』に関する謂(いわ)れは全くの嘘で、皆さんが『泣き捨て地蔵』を知らないのは、この話は、遠野の民話を祖母から聞いて育った私の心の中に芽生えたものであり、この場で初めて公表するからだ。
「屋敷の裏庭にな、お地蔵さんが一体あったんだ・・・」
「冬に雪が積もるとな・・・家の裏からお地蔵さんまで雪かきするのが、家の子供たちの仕事でな・・・おばあちゃんも雪かきしたんだ」
「深ーい雪の中に、お地蔵さんまでの雪道が絶えたことがなかった・・・」
「雪道を通ってな、お父さんが毎日手を合わせんだ・・・家長が手を合わせるのが家のしきたりでな」
昔、何代か前の家の家長が、道端に倒れている地蔵を見つけた。家長は思い出すように周囲を見回してみた。彼は、ここに地蔵が立っていたことを思い出せなかった。付きの者も首を捻った。
その年は、飢饉のために飢死する人や捨て子が多かった。地蔵は左頬が縦長に欠けていた。それは、お地蔵さんが不幸な人々を思って流す涙に見えた。家長は、付きの者に地蔵を屋敷まで運ぶよう言った。
「お地蔵さんは、声を出して泣くんだぁ・・・」
「だども、大きな声で泣かねぇんだ・・・よーく耳を澄まさねば、聞こえねぇんだ・・・」
「夜になるとなぁ・・・風の音に隠れてな・・・雨の音に隠れてな・・・虫の声に隠れてな・・・シクシクって泣くんだ・・・おばあちゃんにも聞こえた・・・」
寒風が雨戸を揺らす夜だった。私は祖母の布団の中で、お地蔵さんの泣き声を探してジッと耳を澄ました。お地蔵さんの気持ちに同調して、私は、腹を空かせて死んでいく人たちを思い、悲しい気持ちに包まれていた。声を出して泣きたくなった。
夜の風景の中にお地蔵さんが立っている姿が見えた。欠けた片方の頬が涙のように浮き上がっていた。外で吹いた一陣の風が私を通り抜けて行ったと感じ、風に寄り添っていた泣き声が、シクシクと耳に伝わった。お地蔵さんの泣き声が聞こえたのだ。