白いピアノ 4 宮田のエッセイ館

白いピアノ
白いピアノ 4

 餓鬼のように、私は再び口を大きく開けて頬張った。時間に追われて食べるので、駅の立ち食いそば屋は餓鬼になっても許されるのだ。丸い黄身が崩れて汁に混じる。箸先に摘(つま)んだそばで崩れた黄身を追う。しだいに黄身が汁に溶けて、ついに黄身はそばに絡めなくなる。玉子が溶けきった黄色味を帯びた汁を、そばとともにすすった。

 汁を丼に残して食べ終わり、

「ごちそうさん」

 と言って、店を出てホームに立った。残した汁の残像が、誤って川に落としたボールのように、脳裏の中を遠ざかって行った。

 かき揚げ天玉そばのゲップが出ると同時に、

「間もなく、13番線ホームに千葉行きが到着します」

 のアナウンスがあった。

 口元に残るそば汁の匂いが、食べたばかりの『かき揚げ天玉そば』の味や食感を思い出させる。私は千葉行き電車のなかで、味の余韻、幸せの余韻に揺れた。人知れずそれら快楽の余韻に浸る一方で、微かに覚える罪悪感があった。玉子を汁のなかに残したことだ。玉子を全部食べるには、汁を全部飲まなければならない。しかし、それでは健康に良くない。ならば、汁に生玉子が入るメニューを注文しなければいいのだが、それはあくまでも「食後に回復した理性」で考えた時の話だ。そば汁に玉子を残す罪悪感の問題は、食欲と理性の間を行ったり来たりするばかりで、永遠に解決出来ないだろう。

 そういう私でも、そばを汁まで完食していた時期があった。高校生の頃、通学で乗り降りした京急追浜駅のホームに当時立ち食いそば屋があって、そこで私は時々食べた。食べる度に汁を飲み干した。食後に追浜駅のホームで放った豪快なゲップは、胃から逆流した汁が喉元までこみ上げ、喉元でブチブチはじけたものだ。この頃まで、

『食べ物を粗末にしない、食べ物を残してはいけない』

 という教えが、世の中を一般的に支配していた。それから徐々に、

『健康のために塩分摂取を控えましょう、それ故、麺類を食べたら汁は残しましょう』

 のアナウンスが世の中に流布されるようになり、食後に汁をたくさん残しても、行儀が悪いとみなされなくなった。むしろ、残すのが当たり前になった。

「ところで・・・」

 と、私は千葉行き電車の中で考えた。

「斉藤だったら、玉子が溶けたそば汁を、残さず全部飲んだのではなかろうか」

 

 今日これから会う斉藤は、よく食べ、よく飲む男だ。以前、斉藤と二人で横須賀にある萬久庵という店で飲んだ時のことである。この店は鳥料理とラーメンが美味しくて、我々は鳥料理をさんざん食べてホッピーをガンガン飲み、挙句に、斉藤だけがシメとしてラーメンを注文したのだ。

 私は腹がいっぱいだった。私は、彼に普通サイズのラーメンでなく半ラーメンを勧めたのだが、

「宮田さ~ん、な~に言ってんだよ~。大丈夫だよ~、オレは食えるよ~」

 と言って聞き入れず、出てきた普通サイズのラーメンを全部食べた。そればかりか、スープまで綺麗に飲み干してしまったのである。丼を置いた斉藤は、テーブルに肘を置いて身体を斜に構え、前歯を見せて笑った。

「ファファファ」

 歌舞伎役者のように笑い声で見得を切っていた。これは、斉藤が楽しく酔い、美味いものを食べて満足した時によく見せる仕草だった。

 

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